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金顕珠。Shi-Ting WANGには7G連失と力の差を見せつけられた。
 金顕珠との残りの4ゲームは,しかしながら,哀れなゲームになってしまった. 明らかに最初の3ゲームで実力差を見せつけられてしまった金顕珠にとっては, WANGのゲーム放棄は喜ばしいどころか,想定しようもないほどかなしいことであった. WANGが負けてくれていることは金顕珠にも明白であったが,地元の観客はそんなことはお構いなしに,激しい声援を金顕珠に送っていた. さぞかし惨めであったに違いない.
そうして,そろってお互いが勝つ気のないゲームは,WANGの思惑通り金顕珠の逆転勝ちとなって終わった.

 リーグ戦通過までは,WANGが描いた勝敗予定表通りにことは進んだ.そして準々決勝では,中国のZhao Yingと対戦した.
 Zhao Yingはネットから離れてのボレーが恐ろしいほどにうまく,この大会に出場しているネット・プレーヤーの中でも確実に上位にランクされるはずであった. そして,国別対抗戦の台湾―中国戦で両者は既に対戦していた. この時はファイナル・ゲームでWANGが勝っていた. しかし,この対戦までに自分が望んでもいないはずのゲームを展開してしまっていたWANGは,3-1とリードしながら,逆転負けしてしまったのだ.
Zhao Ying。WANG戦はG0-3からの逆転。ネットには、女子にも、無限の可能性が開けていることを示唆してくれた。
  前進してくるZhao Yingに対してストロークを打ち込むWANGは,個人戦でこの時はじめて必死になったのではなかったか. 僕が気付いた時には,既にWANGの手から勝利は滑り逃げようとしているかのようであった.
 そして,シングルス予選で屈辱的なゲームを展開されてしまった金顕珠は,その後準決勝で日本の水上に勝ち,銀メダルに輝いたのだった.

 ‘99年の世界大会では,日本の関係者達はWANGの実力を過小評価していたようであったが, この釜山では,WANG自身が自分の力を過小評価してしまったようだった.

 なぜ,普段通りにシングルスに望めなかったのだろうか. WANGは自分自身を信じることができなかったのだ.
 普段通りに実力を発揮していれば,・・・. ワザと負けるような選択をすることなく, 集中した時間を自ら作り出していっていれば,・・・.スポーツにあってはならない,そんな「たら・れば」を繰り返し考えていた.

 

辻、台湾戦より。今回は結果はでなかったが、この画像からも彼女の非凡さが見てとれる。
 試合終了後,WANGと話をするチャンスがあった.

 彼女は,日本の辻を「いい選手ね.アンラッキーだけど.」と言っていた. 辻のスウィングの良さのことを誉めているようだったが,恐らく,不本意な判定をされたことをアンラッキーと言っていたのだろう.

 「これからもソフトテニスはするの?」と尋ねると,
 「いいえ,これがラストゲームよ.」と寂しそうな顔をして言った.

 「それはとても残念・・・.」と返事をするのが僕には精一杯であった.  

 WANGのプレーをもう見ることができない,そのことが言葉を失わせていた.

 しかし振り返ってみると,WANGはまだテニス・コートの中に数多く存在していた.‘99年の世界大会以降,スライス・ストロークが国際大会で増えたと感じている選手は多いことだろう. それも単に増えただけでなく,スライスの質の向上はめざましい. これこそがWANGが私たちに与えてくれた遺産なのだ. 多くの選手が彼女を目標にし,質の高いスライスと,そしてドライブとのコンビネーションを身につけようとしているのだ.

  WANG Shi-Tingは去った. 強力な遺産を残して.そしてそんなことを考えているうちに,いつかきっと,WANGを超えるベースライン・プレーヤーが出現するだろうと, 僕の気分は晴れやかになった.

 

A.純氏とSHI-TIMG WANGの妹。なぜか返還直後の香港で。世界は(いやアジアはか?)狭い、を実感したツーショット。(撮影 釜山にはいかなかったI氏)

帰国後,彼女に訊きたいことがあったことを思い出した. 以前香港に行ったとき,何とWANGの妹だという女性に偶然出会ったことがあったのだが,そのことを確かめてみたかったのだ. 彼女にもう会うことはないのかもしれないが,国際大会を見続けていれば,いつかまた会えるのかもしれない.

 
 

第五章 去りゆく女王 了

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