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 ここまで読んでいただければ分かると思うが,韓国人審判員の行為は,自国選手を応援することには全くつながっていなかった.いや,自国選手を汚すもの以外の何ものでもなかった.少なくとも確実に結論づけられることは,そんな馬鹿げた判定をしなくても,韓国選手達が勝ったであろうことは間違いようのない事実であったということだ.にもかかわらず,そんな判定を繰り返していた審判員達は,自国選手の評価を下げることに大いに貢献していたのだ.

日本がアンフェアなジャッジを集中して受けたミックスダブルスを見守る日本関係者。疑惑がさらに疑惑を生むという最悪のパターン。

 大会終了間際に,インドネシアの審判員達と話をした.彼らの話からは苦渋の心情がうかがえた. 最も大きな問題と考えられたのは,審判員同士のコミュニケーションがうまく取れなかったことだ. 審判団は韓国人を中心に各国から派遣されていた審判員で構成されていた. ところが,彼らには共通の言語であるはずの英語力がなく,また通訳が付くこともなく,問題が発生しても各審判員達は話し合いすらもてなかった. そして大会後半に到っては,「どうせ話し合いはできないのだから・・・.」といった雰囲気を漂わせている審判員すらいるように思われた. インドネシアの2人の審判員は,そんな状況に対して苦々しく思っていた. そんな苦々しさを振り払うことができない大会であったのだろう,やや疲れた表情でぽつぽつと話を進めてくれた.ところが,彼らの話から大きな問題が理解できた.実は,アジア競技大会などの国際大会において,第三者国の審判が審判員として任にあたるというような条項が,特に規定されていないというのだ.要するに,例えば,サッカーであればFIFAの公認試合としての日本―韓国戦の試合では,日本と韓国以外の第三者国の審判が任にあたるのだが,ソフトテニスでは全て日本の審判で行うことやその逆のことも可能なのであった.そう言われてみれば,確かに国際大会といえどもソフトテニスの場合,開催国の審判が任にあたっていることが多かった.日本で行われる大会では,日本人が任についていたし,そのことに対して全く違和感を覚えることはなかった.第三者国審判が任につくということが,ソフトテニスでは明文化されていないのだ.

 このことを考えたとき,ソフトテニスという競技の悲哀にも似たようなものを考えずにはいられなかった. 第三者国審判が任につくことは,恐らく明文化したくてもできない事情があるからだ. アジア競技大会といえども,実質的な運営に関しては,大会開催地のソフトテニス連盟にその運営の全てが「丸投げ」されていて, とても第三者国から審判を呼ぶだけの資金などの調達ができないのだ. あるいは資金があっても,それだけの数の国際審判員を日本,韓国,台湾以外から出せるのかどうかという問題も残る.この丸投げ状態は,実質容認せざるを得ないのだろう.

 この問題は複雑であった.まず,故意とも思えるような判定の問題を防ぐシステムが存在しないことは重大な欠陥であると言える. 間違っても,個人や民族特性に帰着するような問題ではない. この問題は,システムの問題として考えていかない限り,根本的な解決には到らないはずだ.
中国選手団。中国男子は国別対抗戦において韓国に一点先制するという健闘をみせたが、そのことが災いして?以降、アンフェアなジャッジを受け続けた。それは台湾や日本がうけたジャッジよりももっとひどいものだったが彼らはちゃんとパーティにはでてきた。
フェアウエルパーティでの中国選手。
まるでお通夜のようになってしまったパーティを盛り上げたフィリピン選手団。デ・レオンがひな壇とマイクで遊びだし各国の選手が壇上にのぼって記念撮影になった。

 例えば,日本国内では国体や高校生の大会等で地元有利の判定が多いというような話の枚挙にいとまはないだろう. ‘99年に台湾で行われた世界大会においても,地元台湾有利な判定が見られたことが指摘されていた. そして釜山だ. これらのことに共通してみられることは,「地元民」が審判であるということだ. 韓国人の問題ということは簡単だが,それでは何も解決に到らない. 韓国国内では,韓国人選手の試合に対して韓国人が審判を行うのは当たり前であるという風潮があると聞いた. こうした文化・風習の壁を乗り越えることは容易ではない. もはや個人の倫理観に頼ることは限界なのだと自覚しなくてはならないのだ. 少なくとも,日本,韓国,台湾の主要三カ国が足並みをそろえて, 審判問題の根本的な解決と成り得るはずの第三者国審判というシステム確立のために突き進んでいくしかないはずだ.

 韓国の審判員達は,組織的に故意な判定を行っているようには考えられなかった.それはインドネシアの審判員達も認めていた. フェアな韓国人審判員もいたし,そうでない審判員もいたということだ.
 ただ,韓国人審判員同士で,よりよい競技運営という視点で大会期間中に議論が行われず, フェアな審判員がアンフェアな審判員を黙認していたのであれば,それはかなしいことだ.

 大会最終日の午後になって,残された種目もごくわずかであり, 名残惜しさが迫りつつある頃になって,またもや信じられないできごとが伝わってきた. 何と,大会終了後に開かれることになっているフェアウェル・パーティーに日本選手団が不参加を決定し, それに同調した台湾とモンゴル選手団も不参加を表明したというではないか. 大会期間中ずっとくすぶり続けていた審判問題が,このような形でひとつの結論に到ってしまったのだ. 来韓していた日本連盟役員が留意しようと説得したが,選手団側が固辞したと聞いた.
 この日本選手団の対応に,「選手の心情を考えれば仕方がない・・・.」といった声も聞かれたが,それに同調することが許されるとは,到底考えられなかった. やはり参加すべきであった. 既に述べたように,ソフトテニスの国際大会で見られる故意とも思われる審判問題については, 第三者国審判員の起用に関する統一した見解がもたれ,それがシステムとして確立されることが根本的な解決策であろう. そのためには,日本,韓国,台湾がどれだけ歩み寄れるかという,高度に政治的な問題に成らざるを得ない. これが達成できない限りは,丸投げ状態が続く国際大会開催にあって,審判問題が解決されることは主要三国以外での大会開催しか考えられない. しかもこの場合であっても,審判問題の根本的な解決に到るわけではない.ところが日本人選手団の行為は,この解決からは最も遠いところにあった. 歩みよりどころか,結果的に韓国人関係者の逆鱗に触れてしまったのだ. 韓国人関係者は,大会終了後に行われたパーティーで,「来年の広島では(パーティーに)参加しない.」と言っていたと聞いた.

 日本人選手団達が長期的な展望に立てなかったのは仕方がないのだろうか. しかしそれを容認してしまっていては,長期的な強化など夢物語で終わるのではないのか. 釜山アジア競技大会のソフトテニスは,この日をもって終わったが,国際大会はこれからも続くのだ. 今後出場する選手のことを考えれば,やはり許される行為とは到底言えない. そして,そうした影響は結局のところソフトテニス離れを助長するに違いない.

ネパールの人々。左端が会長のBINAYA BIKRAM SHAH氏。自称ネパールの東幹久。ホントに自分でそういっている。真ん中の二人はジャーナリスト。

 パーティーに出席していたネパール人選手団会長からは,「No singing,No dancing.」と言われた.通常国際大会終了後のパーティーでは,各国選手達は自国の歌や踊りを披露し,選手達にとっては大切な交流のチャンスなのだ.東南アジア諸国の選手達にとっては,これまで日本選手は憧れであったし,こうした機会に少しでも話をしたいと考えることは,日本の少年少女達が有名選手に憧れサインを求めることと,何ら変わりはない.一体誰のためのソフトテニスであるのだろうか.課題は残った.

第八章 残された課題 了
 
次回はいよいよ最終回 

―HIROSHIMAへつづく道,そして・・・―6月12日公開予定です

 
男子国別対抗表彰式をおえ、コンパニオンに先導され凱旋する韓国男子、それを迎える報道陣の群れ、後ろには行進曲を奏でるブラスバンド、アジア五輪がプレミアムな存在であることを示す一枚。