全日本総合選手権 9月21,22,23日 新潟市
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| 昨年5度目の優勝を果たした中堀・高川 |
天皇賜杯・皇后賜杯 全日本総合選手権が今日から新潟市ではじまった。天気の具合がどうもよろしくないようで気になる。どういうわけか、アジア五輪イヤーの全日本は雨に祟られるのだ。
公開種目(デモンストレーション)ながら、ソフトテニスがはじめてアジア五輪の舞台で競技されたのは、1990年のことで、その年の全日本総合はアジア五輪後わずか1週間というきつい日程で開催された。当時はまだ旧ルールで、大会日程も2日間。場所は栃木県黒磯市。観戦しやすい素晴らしいコートだったが、初日にすこしできただけで、あとは雨、雨、雨・・・いくつもの体育館に分散し、月曜までかかって消化した。
当時は神崎・小野寺が全盛。この大会でも抜群、軟庭選手としてだれも経験したことないアジア五輪のエースとしての強烈なプレッシャーから解放されたためか、肩の力がぬけてすばらしくリラックスしたテニスでらくらくベスト8まで。このままだったら間違いなく優勝したとおもう。が準々決勝以降が月曜日に延期となり、神崎・小野寺は都合により、棄権。同ペアは前年の優勝者であり、当然第一シードだ。男子のドローは、ベスト8まできて、中心をうしなってしまった。観戦者の私もやむなく帰京。
男子の優勝は鬼才 田中・曽根(JT広島)。なお、男子ではアジア五輪代表選手はだれもベスト4にのこれなかった。
すみずみまで配慮のいきとどいたハイグレードなトーナメントを志向すべき
1994年は広島アジア大会の年。広島大会では名前もソフトテニスにかわり、公開種目から正式種目になった。この年の全日本はアジア大会直前に仙台で開催。新ルールで初の全日本であり、大会日程も3日間になった。しかも同時進行で第一回全日本総合シングルスを開催するという、すごいスケジュールを組んだ。しかし、初日から雨。それも記録的な豪雨であり、仙台空港は水浸しで発着不能になるし、仙台市内の交通も完全にマヒし、筆者も仙台につくことはついたもの何時間も仙台駅にとじこめられた(そのためか否か、風邪をひき熱を出すというおまけつき)。翌日なんとか大会ははじまったものの、インドアとアウトドアを併用するという、全日本の権威もへったくれもない進行になった。しょうがないといえばしょうがないが、以前からいっているように、エントリー数がおおすぎるのだ。なんで男子だけで200以上ものエントリーなのか。もっとコンパクトに、高密度にし、権威を高め、すみずみまで配慮のいきとどいたハイグレードなトーナメントを志向すべきだ。そういうところがいまだにすこしもみえないのが、残念というか腹立たしい。
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| 鶴岡大会での斉藤選手。代表から引いたが、今年も優勝候補。 |
しかしゲーム自体はすばらしかった。広島アジア大会ぐらい選手強化を丹念に時間をかけてやった国際大会はないと思うが、それがもろに反映されたのかもしれない。優勝した北本・斉藤の状態のよさなど、まさにプロ並みで、練習しているのを遠目にみただけで、凄いものをみた、と強烈なインパクトをあたえられた。発するオーラが違うのだ。
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| これは鶴岡大会での神崎・小野寺組 |
まだ全盛をたもっていた神崎・小野寺が早い段階で強化選手からはずれたことは意外だったし同時に疑問をおおいにもったが、その神崎組が代表である上松(大橋)組にG0-4からすさまじい気迫で追い上げ、大逆転で勝った試合や、大ベテランの篠辺・稲垣組が前年の神戸大会につづきベスト8に進出し、森田・高川をぎりぎりまで追い詰めるが、ここでの稲垣選手のダイビングバックボレーなど永久に記憶から消えることはない。
男子決勝は北本・斉藤5-4森田・高川。これは選手もスコアも前年と同じ。ファイナルの接戦だが、あまり記憶にのこるようなゲームではなかった。
アジア五輪代表選手はベスト4進出8名中4名をしめた。女子はアジア五輪個人優勝を果たすことになる熊野・砂本が優勝。
1998はバンコクアジア五輪の年。このときのアジア五輪は熱帯での開催ということで12月という遅いスケジュールだった。
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中屋朱美選手
NTT西日本中国
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全日本は9月に鶴岡で開催され、アジア五輪との関係でいえばもっとも問題の無かった年ともいえるが、全日本開催時にはすべて代表は決定しており、ある意味、代表に決まったいた選手にはプレッシャーがかかったのではないか。そうそう雨の話しだった。大会初日に鶴岡入りしたのだが、羽田をでるときは快晴だった、が、鶴岡では雨。駅につくと駅前で選手たちが土産ものを買う姿がみられた。結局、初日は試合がほとんどできなかったはず。2日めからは男女同一会場の予定だったが、急遽、別開催。ナイターを駆使し、ほぼ当初のスケジュールに追い付いた。3日めにようやく男女同一会場になる。
この鶴岡のコートは一見ローカルな感じなのだが、実にひろびろとしていて観戦しやすかった。当時観戦記を書く予定で、まだ果たしていないが、そこで、現代のソフトテニス界等身大の大会、という表現を使おうとしたのを思い出した。別にこれは皮肉ではなく、こじんまりとしたすごく気持ちのいい大会だったのである。帰りは電車だったのですごく遠かったけど。
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| 昨年の皇后杯チャンピオン坂下選手。昨年の大会は会場は最低だったが運営は最高だった。最終日の2面展開はぜひこれからも継続してほしい。 |
さて大会は男女とも代表選手が優勝にとどかないという結果におわった。男子は玉井・紙森、女子は米本・中屋。代表で決勝に残ったのは平山隆久選手だけ。くんで以来無敗で3連覇中だった中堀・高川は準決勝で平山・土師にハイレベルな試合に3で敗れた。アジア五輪予選一位だった北本・斉藤はインターハイチャンピオンの室谷・末廣にまさかの敗戦をきっし16本。
ただ優勝した玉井・紙森はアジア代表サポートメンバーであり、いわば3組めの代表ともいえる存在である。このときの同ペアの異様な強さは忘れ難く、あのテニスだったらいつでも全日本がとれるだろう。あのテニスで国際大会を戦うところがみてみたいものだ。
さて今年の全日本。なんとアジア競技大会の1週間前という信じ難い日程で開催される。これは本当に信じ難い。いったいなにを考えているのか!アジア五輪の日程など急にきまったわけでもないであろうに。普通の競技なら最後の調整合宿をおこなっているだろうし、現地いりしている種目さえあるだろう。
あのセパタクローの日本代表すら9月はじめから最終合宿にはいっているというではないか。
アジア大会が北京や広島やバンコクのように日本ボールで開催されるのなら、まだ許せる(いや許せないが)。今回は韓国ボールでの大会なのである。あんまりだと思う。代表は大会にでないと思っている人もいるぐらいで、普通はそう思うよ。でも出るらしい。今回の全日本に関しては予想をたてる気がしない。ソフトテニス界自体がソフトテニスの足をひっぱている最悪の例が今年の全日本だ。全日本の観戦は今年で20回目になることにさっき気づいた。今年ぐらい気持ちののらない観戦旅行はない。
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