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方峻煥戦の揚勝發

 隣コートで行なわれたシングルスは,まだ続いていた. 楊勝發がシングルス個人チャンピオンである方峻煥に鋭い牙をむいていたのだ. しかし方峻煥は何とか逆転のファイナル・ゲームで凌ぎ,第2ダブルスへと決着が持ち越された.

 第2ダブルスは,金法顕 Kim Beop-Hyeon金耿漢 Kim Kyung-Han組と王俊彦趙士城組とで行なわれた.そして王俊彦は,荒々しい牙をむいた.
 第1ゲームのサービス・ゲームを落とした韓国ペアは,いきなりのピンチを迎えたものの,続く第2ゲームの相手のサーブをブレイクし,続く第3ゲームのサービス・キープに成功した.

 ここまでの王のストロークは屋外同様の不安定さを見せていた.不安な立ち上がりを乗り切ったかに思えた韓国ペアであったが,第4ゲーム以降は台湾ペアのペースに引き込まれていった.ストレートからクロスのサイド・ラインへ,とてつもない剛球でパスを打った王は,金耿漢の出足をとめることに成功すると,最大の武器であったカット・サーブとそれに続くネット・プレーでの攻撃をガンガン成功させていた.

金法顕/金耿漢
趙士城/王俊彦
金耿漢 vs.趙士城。金耿漢が王俊彦の強烈なクロスパスをくらった瞬間。

 第1ダブルスに出場していた林とは異なり,王は自らのサーブにおいてもネット・ダッシュを行ない,強烈なプレッシャーを韓国ペアに与えていた.しかもセカンド・サーブで臆することなく,激しい切れの伴ったカット・サーブを放っていた.2回のサーブという制限の中で,切れのあるサーブを確実にサービス・エリア内に放っていた.華やかな感じを持たない趙も,カット・サーブ後のネット・プレーを確実にポイントにつなげていた.

 金耿漢も対抗した.高く舞い上がったロブを深くまで追った金耿漢は,釜山アジア競技大会シングルスで誰をも唖然とさせた,あのドロップ・スマッシュを放ったのだ.残念ながらそのドロップ・スマッシュは王のフォローになってしまったが,あらゆる限りのテクニックを駆使し,優勝へ望みをかけようとする姿勢が伝わってきた.

 しかし,ダブルス個人戦で優勝を果たしていた金法顕が,完全について行けなくなってしまっていた.バウンド時に止まってしまうボールに全くリズムを合わせることができなく,ラケットに何とかボールを当てるのが精一杯であるようなシーンが,何度もあったのだ.それでもサイドチェンジで戻ってきた韓国ペアに対して,劉永東が厳しい表情で必死にアドバイスを送っていたし,追い込まれながらもまだ韓国ペアが何かをしてくれるのではないかと,そんな期待を僕は持っていた.しかし,ベンチに戻ってきた金法顕の表情は完全に自信を失い,いったいどうしたらいいのだといった表情をあからさまにしていた.かろうじて己を保っているに過ぎない,そんな表情だった.第6,7ゲームは韓国ペアも何とか踏ん張ったものの,決定的なチャンスで金法顕がミスを犯し,5-7,6-8というスコアーでゲームを失い,歓喜の優勝は台湾に訪れた.

 いったい何が起こったのだろうか,しばらくの間は理解しようにもそれができない,そんな状態が続いていた.ようやく台湾が優勝したのだと,おぼろげながらにその感覚がつかめたと思い始めたのは,試合後の胴上げが終わって,台湾選手達が関係者との喜びの写真撮影が済んだころであった.男子コーチである黄錦洲が初老の女性と抱き合いながら人目を憚ることもなく涙を流していたのだ.そんな様子を少し離れたところから眺めていると,台湾が勝ったのだ,あの韓国が負けたのだということが,ようやく理解できてきたのだ.

 大会終了後のフェアウェル・パーティーの会場の片隅で,ひとりぽつねんと喜びを噛みしめているような黄錦洲がいた.そのままにしておいてあげるべきかどうか少し考えたものの,彼に聞いてみたいことがあったので話し掛けてみることにした.彼ははにかんで,ただ「室内だから大きな声を出さないと選手は分からないから.」と答えていたが,ゲーム中始終室内に大きく響き渡っていた彼のアドバイスが,目尻の下がった普段の柔和な彼のイメージからは想像もできなかったのだ.試合終了後に人目を憚ることなく涙を流していた彼を思うと,余程嬉しかったのだろうか,それとももっと違う何かが彼をそうさせたのであろうかと,そんなことを感じ取ってみたかったのだ.

 試合について尋ねてみると,胸の辺りに両手でガッツ・ポーズを作りながら,「ラッキー!」と満面の笑みをたたえながら答えてくれた.身ぶり手ぶりを交えながら,「屋外(クレー)でやったら韓国,日本の方が上,でもインドア(ハードコート)なら逆転します.」と説明してくれた.確かに室内に入った途端,台湾勢のテニスはがらりと変貌し,牙をむいていた.通常クレーとハードの練習の割合は半々であるというから,柔軟に対応できるだけの素地を持っていることは容易に理解できた.そしてハードコートでの戦いに対しては,ペンで「秘密武器」,「時間差」と書いてくれた.これらは明らかにカット・サーブとそれに続くネット・プレーでの攻撃システムをあらわしていた.廖南凱が「台湾の若い選手達はあまり練習しない,それはこの国の文化だから仕方がない」と言っていたことに対しては,自らが指導する豊原高商の学生達は熱心に練習すると言って,夏期には午前,午後とも2時間半は練習することを説明し,廖南凱の見解を否定していた.そして,教え子である林朝章を含めた4名の選手の名前を列記しながら,次回以降の国際大会が楽しみであることも語ってくれた.

 黄錦洲を初めて見たのは,‘85年に名古屋で開催された世界選手権大会であった.当時19歳であった彼は,とてもシャープなテニスを行なっていた.柔らかなイメージのフォームから,シャープな打球を行なっていたのだ.打球フォームには余分な力は感じられず,しかし打球は鋭いといったイメージであった.以前,佐賀のアジア選手権大会の折にその当時のことを話すと,「まだやんちゃだったから.」と答えてくれた.その後彼は,国際大会での実績を重ね,現在は高校教員としてソフトテニスの指導にあたり,国際大会に選手を排出するまでに至っている.現在は大学院生でもあり,2004年の9月までは論文作成のため指導に専念できそうにもないとも語っていた.

趙士城

 台湾勢のテニスを改めて鑑みると,その高い柔軟性が指摘できるであろう.第二十三回全日本大学選抜王座決定戦に出場するために来日していた大邱Catholic大學校のプレー見て,とある日本関係者が「ラリーになれば勝てるんだがなあ.」といった発言をしていたようだ.その発言の裏側に感じることは,ラリーになることへのこだわりを通り越して,ラリーを伴うゲーム展開しか認めたくないという,旧態依然とした態度であった.最早ソフトテニスはゲーム・システムとしての戦いの時代に入ったことは間違いない.個々の技術だけでソフトテニスを競う時代は終わり,個々の技術を最大限に活かすことのできるシステムの発見とその完成度の高さという時代に入っていることは,韓国ベースライン・プレーヤーのリカバリー・ショットとネット・プレーヤーの果敢なポーチ・ボレーや,今回の台湾勢のカット・サーブとそれに伴うネット・プレーを見れば明らかである.今後しばらく国際大会は,ハード・コートでの開催が予想される.どのように頭を柔らかくできるのか,そのことを見届けてみたい.そして,台湾チームの柔軟な姿勢とそこから生み出されたいくつもの牙に,心から拍手を送りたい.