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ルール改正

投稿記事Posted: 月 1 02, 2006 1:13 pm
by ソフトテニスはすばらしい
(2005/06/21(Tue) 16:30:27)
はじめまして。私は学生時代から部活でソフトテニスをしていたのですが、 以前にルールの改正が行われた時に非常に残念でした。 それから、ラケットはもう握らないと思っていたのですがやはり、捨てきれず、 今のルールでテニスをするように成りました。

 以前のルールと違うところは、高年齢の人にはかなり重い動きが必要になってしまったのかな? と思えるところと日本ルールでは高齢の人が楽しんで出来た為、子供から大人までと言った感が 有ったように思います。
 でも、今のルールもすごく競技としてすばらしいものであり、私もまたボールを打つことだけで もうれしい事もありますが、ソフトテニスって本当にすばらしいものだな、と思っていました が、またルールが変わるということにはかなりの抵抗が感じます。

 本当の意味での競技とはそんなに短い間に何度も大幅に変わり、魅力とされているプレーも規制されてしまうものなのでしょうか? そのプレーが好きで今も続けている方が、いらっしゃるのではないでしょうか? それが無くなり、せっかく今のルールで良さも理解して体と心で楽しさをかみ締めてプレーを している方もかなり、いらっしゃると思います。 逆に最初から、現行ルールで慣れ親しん出来た方もいらっしゃると思います。 今のルールだから、ソフトテニスが好きなんだと言う方もいらっしゃると思いますが、 非常に残念です。 ソフトテニスで人と出会い人生が変わった方、その人の出会いが有ったから今までがんばって これた方、沢山の方がこのソフトテニスを通じて人との出会いと思い出と人生を作られて来た のではないでしょうか?

 なんだか、そのソフトテニスが名前はソフトテニスでも別の競技になってしまうのはとても、 非常に残念で、非常に悲しいと私は感じます。 もう、ルールは改正されてしまうのでしょうから(?) どうか、ルール改正に取り組む方は、ソフトテニスで出会った感動を忘れずに、沢山の人が 今もどこかでソフトテニスをプレーして、ソフトテニスのルールに則って日々鍛錬している 事を忘れないで改正に取り組んでいただきたいと思います。(日々鍛錬しているから、改正が おかしいという意味ではありません) 色々な方の意見も有ると思いますが、私はソフトテニスのおかげで今が有ると思っています。 沢山のすばらしい出会いもありました。 人として成長させて頂くことも出来たのは、ソフトテニスを通じて出会った方のお陰でもあり 何より、この競技が好きであるから生きていてよかったと思っています。 ルール改正される方は、これを見ていましたら是非とも、ご配慮をよろしくお願いします

投稿記事Posted: 月 1 02, 2006 1:15 pm
by webmaster
(2005/06/21(Tue) 16:31:06)
ルールをよりよくするために考えていこう、というのは賛成ですが、たとえばポジションの制約のような競技の性格をかえてしまうような変更を10年のうちに2度もやってしまうのは論外のような気がします。全く別の競技になってしまう、と私もそう思います。

人材の無さ

投稿記事Posted: 月 1 02, 2006 1:18 pm
by ナナ
以前のルールは、実際にプレーをした事も、しっかりと見たことも無いのでなんとなくしか分かりませんが、 今のシングルは面白くないというと昔のルールの方が硬式に 類似していたとよく言われました。  

 最近は、ソフトテニスマガジンを見ていないので動向は、分かりませんがソフトテニスに関わっている分野の人材の無さをよく感じました。 そこには、マイナーなスポーツであるソフトテニスの僻み根性が見え隠れしています。このホームページの中にもありますが、マナーの悪さです。
 マナーというよりも品性を疑いたくなるような言動を中学校の教師である監督が率先して行っている現状を見ると、うんざりします。 県大会になると教師が主審を行いますが、中体連の仲間同士には、仲間に有利になるようなジャッジを子供たちにも明らかに分かっている状態でも平気でしてきます。
 半分呆れて、こうして子どもは、大人のいやらしさを学んでいくのだそういう意味で学校教育の一環なのかな? と変に納得したものです。
 私は、ミスジャッジはお互い様と思っていますし、勝負の勝ち負けをミスジャッジにしようとする人たちに、もっと分かる形で堂々と勝ちなさいといっています。
抗議やジャッジが気になって自分のリズムを崩すようでは、まだまだ実力が足りないと思っています。

 ソフトテニス界の現状を見ると、ゲームの大きな流れを掴めずに、 局所的などうでもいい問題にばかり気にして大問題をどのように解決していくのかという点を簡単に見失ってしまうようです。 まるで、下手なテニスのゲームを見ているようで。 こいつら、どんなに練習しても上手く何ねーやといったものが感じられます。
 西欧みたいに、ノルディックの複合や、 ジャンプで日本に勝てなくなると平気でルールを変えて行くくらいのバイタリティとネゴシエーションを発揮できる人材を登用していかないと暗いひと握りのソフトテニス界で終ってしまうのではないでしょうか。
 自分たちで改定したルールを、ルールに適合したプレースタイルがいかにあるべきかまで先に考えていなかったら、 何の為に日本で発祥したスポーツ何だという事です。ルールを改定した時に、 今後のソフトテニスのプレースタイルを想像できないような組織では、 今後何をしてもろくな事が出来ないという事だと思います。

 ソフトテニスの技術的な資料があまり有りませんが。硬式テニスの雑誌の中に腐るほどソフトテニスに応用できる技術が盛り込まれています。 それほどまでに、ソフトテニスの技術的な分野の解明が遅れているという事では無いかと思います。 硬式にないボールの柔らかさを、またある程度のスピードを超すとボールをコントロールできない特質をよく理解した。 ルールづくりがソフトテニスを世界に広めるに最も必要な事で

投稿記事Posted: 月 1 02, 2006 1:19 pm
by 山本
ナナさん はじめまして 山本と申します
かなり前の投稿なんですが、ひょんな事から拝見してメールを送る気になりました。
私は、福井県です。子供が中学高校の時によく県内の大会を見に行って同様な感想を持ちました。
本当に中体連の大会での教師のジャッジには、品性の無さに唖然とさせられる事が普通に有りますね。中高と一時期外部コーチ(正式には認められていませんでしたので、一般練習の指導をしました)をしてきて感じた事は、ソフトテニスに限定してですが、教師の精神年齢が中学生レベルで終わっているなーという事です。 大人の話が通じない、目先の結果に言動が振り回される。そんな教師が多いのにウンザリしてきました。
根本的に教師不適格と思われるものに限って、校長の評価が高いのも普通に有ります。
学校教育は、末期的症状に有るといっても過言ではないと思っています。
内の息子どもは、中身の無い話は全部聞き流すといっていました。余程子供の方が大人だと思いました。 ただ、中学の時の子供の監督をして頂いた教師は、優れものでした。テニスは始めてでしたが、テニスのルールブックからテニス競技の特質を明確にして、プレースタイルを作り上げて行きました。硬式テニスの雑誌の分析内容を良く参考にしていました。
ソフトテニスの雑誌のレベルの低さにもかなりウンザリしていました。
この教師は、中学でいち早くハーフパンツを取り入れて、都道府県大会に出て翌年には、
連盟が高校はokで中学には禁止するといった、本当にソフトテニスの協会には人材が居ないと思ったものでした。そして、その翌年は時代の流れに従ってOKになりました。
硬式テニスでは、ウエアーをパンツから出したままプレーをしていますが。多分ソフトテニスでは禁止になっていると思います。サッカーや、バスケットなどコンタクトプレーが存在するスポーツでは服に手が絡まるのを防ぐためにパンツの中にウエアーを入れています。
しかし、テニスではネットでお互いが別れていてコンタクトプレーが存在しないからウエアーをパンツの中に入れる必要が無いし。ましてや、プレーに支障をきたすような事を懸賞金が掛かったプロのプレーヤーがする訳が無いとの判断でした。でも、大会中にウエアーを中に入れろと喧しく言う割には、エゲツナイプレーヤーの言動には鷹揚な感性にマイナーな競技の理由を見た様な気がしました。ジャッジに対する考え方もナナさんに同意します。
入った入らないですったもんだしている内は、強くならない。お互い様で結構だし、故意にミスジャッジをする審判に当たったら圧倒的な強さで勝てば良いと思っています。
問題点が多い組織ですが、此れといって対策が有る訳ではありません。ただ、成り行きを見るだけでしかありませんね。それでも、もう7年程、小学生のスポーツ少年団のコーチを続けています。勝ち負けよりも、より良いプレーが見たいと思っています。スポ小の大会で一番私に叱られるのは保護者です。保護者は負けた時のプレーばかりに注文を出します。かつての私の姿でもあります。だからその気持ちも良く解るのですが、親の子離れのチャンスだとも思っていますので
親の文句は許しません。不甲斐ない子供の姿を見て尚、一生懸命プレーしている姿に声援を送って欲しいのです。何時も応援だけして下さいとお願いをしています。
以上取り止めの無い文章になりましたが、ナナさんのご活躍をお祈りしています。
本当に、ナナさんの一言一言がもっともだとうなづくばかりでした。