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「声」を出すことを盲目的に賞賛

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:06 am
by 三ツ矢
前にも出た相手を威嚇するような声を出すことについてですが、それを肯定する意見が出たのに驚きました。あれは見ていて本当に気分を害する行為ですね。 少数派だと思いますが、賛成する人の良識を疑ってしまいます。

 その声出し(?)というのを選手が覚えるのは、ほとんど先輩がやってるから自分もということでやり始めるんですよね。つまり何も考えてない・・・。 日本の悪しき習慣ですね・・・。 というかそれをする理由が不明です。声を出さなければ気合が入らないタイプの人が声を出すにしても、なにも相手に向かって言う必要は無いし。 まえに相手を動揺させるためにするという意見を聞きました。スポーツを本気でやってる人間は勝つためには何でもやるといっていました。 そう聞くともっともらしいような気もしますが、こんなに多くのプレーヤーが同じ事を(・・・)言っているのに動揺する人なんているんでしょうか?というより自分は卑劣な人間だとそんなにアピールしたいというのが理解できません。

 あと少し話題は変わりますが、ソフトテニスだけではなく日本はスポーツはみんな「声」を出すことを盲目的に賞賛しているような気がします。 例えばテレビ中継などを見ていると、調子がいいチームは声が出ているとか、調子の悪い選手について理由を解説者に聞くと、声が出ていないことを第一に挙げるとか。それは理由ではなく結果ですね。。 ハンマー投げなどパワー競技では声を出すことの利点が科学的に実証されているのでわかりますすが。。 みなさんどう思いますか?

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:06 am
by webmaster
 「相手を動揺させるために」なんて真顔で言う人がいるので面喰らってしまいます。テニスやっているじゃないの?とバカみたいな質問をしてしまいそうです。テニスをやっているのならテニスそのもので相手をうわまってほしい、あたりまえですが・・・そこまでして勝ちたいなどと思う人は別にかてればテニスでなくてもなんでもいいのでしょう。テニスが強いこととテニスが好きなことは必ずしも比例しないですしね。

 剣道とか柔道とか日本古来の武道が声だしをやりますね。そういう影響があるのでしょうか?

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:07 am
by 高校生
声を出す事についてですが。 やっぱり自分自身の士気を高めるためだと思います。 それだけ一生懸命にやれることはいいことなんじゃないでしょうか?

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:07 am
by webmaster
何度も書きますがここで議論?されているのは過剰な声だしやアクションについてであり、声だしそのものについてではありません。もう一度じっくりよんでみてください。

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:08 am
by 二刀流
どうも黙ってられなくなったので、投稿させていただきます。中学より10年以上テニスを続けており、高校卒業してからは硬式もしてる現役の選手です。

 どうしてそんなに「声」に否定的なんでしょうか?先日も軟式の県大会に出場しましたが、自分自身もそして周りの選手も声を張り上げてました。静かに戦ってるけれども、勝ち進むペアはほとんど無いように思います。うちの県は軟式王国なので、中学高校時代はどのペアももっと凄かったです。

 個人的見解としては、日本語という言語に原因があるのでは?と思います。具体的に言うと、「カモーン!」にあたる言葉がないんです。硬式のプロの試合ではよく聞かれる言葉です。最近ではL・Hewittが頻繁に試合中叫んでおります。もちろん相手コートに向かって叫んでますし、派手なガッツポーズ付きです。そう、自分を鼓舞するためにして何が悪いのでしょうか?硬式でこの選手に批難が集まることはありません。むしろ人気があるランキング世界1位の選手です。 問題になっている「ラッキー」=「カモーン!」と捉えてるのは、自分だけではないと思います。

  本当に相手を脅したり、陥れるために使ってる選手もいることはいると思います。ただそういう使い方しかできないペアは、経験上早いラウンドで消えることが多いように思います。強豪校の指導者でも「声」を出させますが、蔑む意味で使った時にはきっちり叱ります。というか、勘違いして使っていた自分も、中学初期はよく怒鳴られました。だからこのページで一概に「声」を否定されることには、どうしても黙ってられませんでした。 偏見を恐れず発言します。もしこの「声」を威嚇としか考えられない方は、選手としてプレーされるべきではないかと思います。 テニスをするなというのではなく、レクレーションとしてやってくださいと言いたいです。 選手として出場するからには、石にかじりついてでもと言う気持ちがあるのは当然のこと。 とくに学生の選手は限られた時期しか出場できません。試合にかける「気合い」が「声」に出てくるのは自然ではないのですか?全員がそうとは言いませんが。 ハングリー精神、最近日本では聞かれなくなった言葉ですが…。

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:10 am
by webmaster
二刀流 さんが書きました:どうも黙ってられなくなったので、投稿させていただきます。中学より10年以上テニスを続けており、高校卒業してからは硬式もしてる現役の選手です。

 どうしてそんなに「声」に否定的なんでしょうか?先日も軟式の県大会に出場しましたが、自分自身もそして周りの選手も声を張り上げてました。静かに戦ってるけれども、勝ち進むペアはほとんど無いように思います。うちの県は軟式王国なので、中学高校時代はどのペアももっと凄かったです。

 個人的見解としては、日本語という言語に原因があるのでは?と思います。具体的に言うと、「カモーン!」にあたる言葉がないんです。硬式のプロの試合ではよく聞かれる言葉です。最近ではL・Hewittが頻繁に試合中叫んでおります。もちろん相手コートに向かって叫んでますし、派手なガッツポーズ付きです。そう、自分を鼓舞するためにして何が悪いのでしょうか?硬式でこの選手に批難が集まることはありません。むしろ人気があるランキング世界1位の選手です。 問題になっている「ラッキー」=「カモーン!」と捉えてるのは、自分だけではないと思います。

  本当に相手を脅したり、陥れるために使ってる選手もいることはいると思います。ただそういう使い方しかできないペアは、経験上早いラウンドで消えることが多いように思います。強豪校の指導者でも「声」を出させますが、蔑む意味で使った時にはきっちり叱ります。というか、勘違いして使っていた自分も、中学初期はよく怒鳴られました。だからこのページで一概に「声」を否定されることには、どうしても黙ってられませんでした。 偏見を恐れず発言します。もしこの「声」を威嚇としか考えられない方は、選手としてプレーされるべきではないかと思います。 テニスをするなというのではなく、レクレーションとしてやってくださいと言いたいです。 選手として出場するからには、石にかじりついてでもと言う気持ちがあるのは当然のこと。 とくに学生の選手は限られた時期しか出場できません。試合にかける「気合い」が「声」に出てくるのは自然ではないのですか?全員がそうとは言いませんが。 ハングリー精神、最近日本では聞かれなくなった言葉ですが…。

 二つ誤解があるとおもます。『一概に「声」を否定される』とありますが、今ここで問題になっているのは、何度も書きますが、「声だし」そのものではなくて「過剰な声だし」のことです。あるいは挑発的な行為のことです。下の投稿、そして私のレスをもう一度よくよんでみてください、たとえば「さあ、いこう」とかいった声だしは、もちろん言い方にもよりますが、ぜんぜん問題ないでしょう。あるいは自分達がエースをきめたときに「よっしゃ!!」とかペア間で(相手にむかってではなしに)いうこともとくに問題になるようなことはない。くり返しになりますが、声がいけないのでない。威嚇ととられるような声あるいは行為がいけないのです。これはルールでも規定されています。

 もうひとつ、ヒューイット(や他のプロ選手)は相手にむかってこぶしをあげているわけではありません。これはとんでもない誤解ですよ。硬式のプロがガッツボーズをするのは自分自身か、あるいはスタンドにいるコーチや家族にむかってです。決して相手にむかってではない。ATPツアーでそんなことをやればたちまち警告(ワーニング)とられます。悪くすると罰金ものです(もちろんWTAでも)。

 このクラブハウスで最初に問題になった相手のミスに「ありがとう」といったり相手方向に歩み寄り声を張り上げる、こぶしをつきあげる行為等とは全く問題が次元が違います(そんなことをしたらワーニングどころか退場になりかねないでしょう)。

 それにたしかにヒューイットはプロのなかでは声だしやガッツポーズの多い選手ですが(しかし相手のミスたいして何かアクションをおこすことなど絶対にないです。もちろんカモーンともいわない。カモーンとラッキーは絶対に同じではないですよ)、のべつまくなくそれをおこなうなんてことは決してない。これも大きな誤解です。むしろめったにそういうことをしないでしょう。あたりまえですがメンタルコントロールがきっちりできているからです、だからNO.1にあれほど若くしてなれたのでしょうね。


テレビをはじめとするメディアではそういう部分ばかりが強調されるので誤解されやすいのですが。例をあげると先日放映されたマスターズシリーズシンシナティの決勝のカルロス・モヤ戦のファーストセット5-4とリードされたヒューイットのサービスゲーム。モヤが40-15と2つのブレイクポイント=セットポイントを握った場面でヒューイットは4本連続サービスエースという離れ業をみせますが、かれはガッツボーズも一言の発声もしませんでした。ニュースやダイジェストではガッツポーズのシーンばかりながすので誤解されるのです。一度テレビあるいは実際に会場に足をはこび2時間じっくりみてください。彼の試合態度がここで問題にしているものとはまったく質がちがうことがわかりますよ。


余談ですが過剰な声だしで有名?なバレーボールも相手に向ってガッツボーズをとればイエローカードです。

 『蔑む意味で使った時にはきっちり叱ります』そういう指導者ばかりだとほんとにいいのですが、現実にはなかなかそうもいかないようで、それどころか下の投稿にもあったとおりコーチ自ら率先してそういう行為をとるひとさえいるんですね。中学生の試合で審判を威嚇してプレッシャーをかける風景さえみたことがあります。もちろん審判しているのは中学生ですよ。あきれるより他はなかったです。

投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:11 am
by 二刀流
もう一度発言させていただきます。しかし、言葉で表現するのって難しいですね。なかなか自分の思った通りに書けないせいで、相手に正確に伝わらないという悪循環。ここで前回指摘して頂いた点について、今一度意見を述べたいと思います。
    1. 「声だし」について。  過剰かどうかの判断は周りが判断するもの。 ネット際にまで言って叫んだり、相手の明らかなミス(ダブルフォールト・セカンドレシーブミス)に対する「声」、は論外ですが、 それ以外の「声」を議論すべきではないと思うのです。その時の状況などがわからない限り、それはルール違反だ!と言う事もできないはず。 「ラッキー」一つとっても言い方によって、全然意味合いは違ってくるはずですから。

    2. 硬式のプロ  まず私自身がかなりの硬式マニアだと言う事を付け足しておきます。 もちろんグランドスラムを観戦に行ったこともありますし、国内で行われる試合もチャレンジャー・ジュニア含め観戦済みです。GAORAでもチェックしております。  ヒューイットのガッツポーズについても、(1)で述べたように条件付きでです。
    自分が素晴らしいエースを放った時に、自分を鼓舞する意味ですが結果的に相手を向いてることがほとんどです。 ファミリーボックスに向かってすることは、マッチポイントを取った時以外しません。 試合中のコンタクトはそれこそワーニングの対象ですから。 ちなみにサービスエースで喜ぶ選手はほぼ皆無です。硬式では取れて当たり前みたいな所もありますから。
長くなってしまいましたが私の言いたかった事は、目に余る違反以外は放っておくべきではという事です。 「声」で勝敗が分かれることはありませんし(精神的にタフならば)、例え1回勝ったとしても勝ち続けるにはそれだけでは不可能です。 ずっと軟式はこれでやってきたのですし、ここで色々と言わなくてもと思います。 これをしちゃダメ、あれをしちゃダメという日本的指導の方が、むしろ問題有りだと思うのは間違いでしょうか? もちろん極論である事は承知の上です。 コート上だけマナーの無理強いをしたところで、その人物の性格が変わるとも思えません。すべては自らの心意気次第。高校生までの行いが問題なら、それは指導者がすべきこと。それ以上の年齢の話なら、今さらどうにもならないはず…。 むしろ私にとっては、セルフジャッジで自分に有利な判断をする人の方が大問題です。周りのオジサンでこういう人が数人いて困ってしまいます。またたくさん反論を頂きそうですが。今回も長文で失礼いたしました。

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:12 am
    by webmaster
    二刀流 さんが書きました:もう一度発言させていただきます。しかし、言葉で表現するのって難しいですね。なかなか自分の思った通りに書けないせいで、相手に正確に伝わらないという悪循環。ここで前回指摘して頂いた点について、今一度意見を述べたいと思います。
    1. 「声だし」について。  過剰かどうかの判断は周りが判断するもの。 ネット際にまで言って叫んだり、相手の明らかなミス(ダブルフォールト・セカンドレシーブミス)に対する「声」、は論外ですが、 それ以外の「声」を議論すべきではないと思うのです。その時の状況などがわからない限り、それはルール違反だ!と言う事もできないはず。 「ラッキー」一つとっても言い方によって、全然意味合いは違ってくるはずですから。
    2. 硬式のプロ  まず私自身がかなりの硬式マニアだと言う事を付け足しておきます。 もちろんグランドスラムを観戦に行ったこともありますし、国内で行われる試合もチャレンジャー・ジュニア含め観戦済みです。GAORAでもチェックしております。  ヒューイットのガッツポーズについても、(1)で述べたように条件付きでです。
    自分が素晴らしいエースを放った時に、自分を鼓舞する意味ですが結果的に相手を向いてることがほとんどです。 ファミリーボックスに向かってすることは、マッチポイントを取った時以外しません。 試合中のコンタクトはそれこそワーニングの対象ですから。 ちなみにサービスエースで喜ぶ選手はほぼ皆無です。硬式では取れて当たり前みたいな所もありますから。 長くなってしまいましたが私の言いたかった事は、目に余る違反以外は放っておくべきではという事です。 「声」で勝敗が分かれることはありませんし(精神的にタフならば)、例え1回勝ったとしても勝ち続けるにはそれだけでは不可能です。 ずっと軟式はこれでやってきたのですし、ここで色々と言わなくてもと思います。 これをしちゃダメ、あれをしちゃダメという日本的指導の方が、むしろ問題有りだと思うのは間違いでしょうか? もちろん極論である事は承知の上です。 コート上だけマナーの無理強いをしたところで、その人物の性格が変わるとも思えません。すべては自らの心意気次第。高校生までの行いが問題なら、それは指導者がすべきこと。それ以上の年齢の話なら、今さらどうにもならないはず…。 むしろ私にとっては、セルフジャッジで自分に有利な判断をする人の方が大問題です。周りのオジサンでこういう人が数人いて困ってしまいます。またたくさん反論を頂きそうですが。今回も長文で失礼いたしました。

    アイコンタクトそのものがルール違反なわけではありません。だからワーニングの対象でもありません。実際に会場にいかれているのなら、お分かりだとおもいますが、ゲーム中、選手によってはですが、アイコンタクトのあめあらしです。うんざりするくらいコーチのほうをみる選手がいます。禁止されているのはアイコンタクトではなくて、ゲーム中のコーチングです。もちろんこれにはアイコタクトをつかってのものもふくまれてはいますが、アイコンタクトそのものではありません。(まえにザバレッタのゲームをコートサイドでみていたときに、ザバレッタがゲーム中に何度もこっちに視線をおくってくるのでなぜだろう、と考えていたのですが、なんのことはない、私のとなりにコーチがいたわけです)

    サービスエースでよろこんだりうんぬんはちょっと誤解されています。サービスエースでガッツポーズしなかった、とはいっているわけではありません。大事な局面で0-40とブレイクポイントを3つも握られて、それをひっくり返したシーンだったのです。

    『目に余る違反以外は放っておくべきではという事です』とありますが、ここに投稿された数々の事例にみるように目に余ることがおおいのです。残念なことに。

    またここで問題にしているのはマナー、エチケット、スポーツマンシップ、フェアプレーの問題であって 『「声」で勝敗が分かれる』とか『精神的にタフならば』というのはちょっと問題がちがいます。『これをしちゃダメ、あれをしちゃダメ』というのもそうです。そういうことをいっているわけではない。

    日本の硬式テニスはセルフジャッジそのものを見直す動きがあるようですね。残念なことです。日本人の敗北ですね。

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:13 am
    by 白ルーツ
    声だしのことについて僕も一言言わせてください。

     僕の通っている学校でも、声を出して元気よくプレーしろと指導しています。 声を出すということはとてもいいことだと思います。 ですが試合になった時に、例えば相手がダブルフォルトやレシーブミスをした時に僕が小さい声で自分のペアにラッキーと言って試合を続けました。 そして試合が終わった後に、先生に「お前には気合が足りん」と言われました。 これっておかしくないですか?その他のプレーでは声を出してプレーしていたのにですよ。 気合や気迫と野次や威嚇は違うと思います。 こういうマナーってやっぱり指導者がきちんとしないとダメだと思います。 マナーの悪い選手を作ることには指導者にも責任があると思います。

     中堀、高川のプレーを見たことがありますが、 そんな野次や威嚇は一つも見られませんでした(当たり前ですが)。 勝てばいい、そんな考え方をしている選手がすこしでも減ることを願っています。 そうでないと誰もソフトテニスに魅力を感じなくなってしまうんではないでしょうか。 (中堀、高川のプレーは一度絶対観た方がいい!あのプレーは硬式テニスやサッカーにだって全然ひけをとりません。僕は試合観戦で貯金を全部使い果たしましたが、それほどの価値があると思います。トップ選手のプレーには。)

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:13 am
    by webmaster
    白ルーツ さんが書きました:中堀、高川のプレーを見たことがありますが、 そんな野次や威嚇は一つも見られませんでした(当たり前ですが)。 勝てばいい、そんな考え方をしている選手がすこしでも減ることを願っています。 そうでないと誰もソフトテニスに魅力を感じなくなってしまうんではないでしょうか。 (中堀、高川のプレーは一度絶対観た方がいい!あのプレーは硬式テニスやサッカーにだって全然ひけをとりません。僕は試合観戦で貯金を全部使い果たしましたが、それほどの価値があると思います。トップ選手のプレーには。)

     中堀・高川のようなプレーヤがトップにいるのはまさにソフトテニスのほこりですね。彼らは技術が過剰?なだけで、あとは実にスマートで模範的です。それでいてトップに君臨すること数年です。実にすばらしいことです。10月の釜山アジア五輪での活躍がいまから楽しみです。

     トップ選手のプレーは本当にみる価値がある。私なんかは年中(どうかすると外国にまで)おいかけまわしているで、いつもすっからかん?!!!です。

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:19 am
    by 深煎り
    話題の「過剰な声だし」についてですが、僕も反対です。 しかし現在はそれを積極的に行っている団体・プレイヤーが多いのが事実ですね。 僕の尊敬する先輩や憧れるナショナルチームの選手もしています。 韓国や台湾も男女共にしている選手が多いですね。 みなさん知っていることだと思いますが、以前にこのような書き込みが無かったので書き込みました。現実を認めなくては建設的な議論は出来ませんからね。

     そこで提案ですが、このような場ですばらしいマナーをしている選手を称えていきませんか?批判的な意見はみなさん言いにくいと思いますので・・・。web masterさん、ずうずうしいですがそのようなコーナーを作っていただけませんか?
     
     中堀・高川ペアのことが出ましたが、僕も素晴らしいと思っています。 個人的なことですが、自分は勢いに乗るというよりも冷静にプレーした方が良い結果が出るタイプなので、コーチにポイントごとに大きな声を出すことを強要されたときに彼らの例を出したおかげで強制されることはありませんでした。
     しかし、ご存知の方も多いと思いますが、前回の世界選手権での彼らはいつもとくらべ異常でしたね。僕はビデオでしか見ていないので全部を知っているわけではありませんが、ポイントに対するリアクションはまるでよくいる中高生のようでした。何の意図があったのでしょうか??もちろんミスした前衛の前に歩み寄るほどの見苦しい事はしませんでしたが、決勝の微妙な判定で熱くなったり、ちょっと裏切られた気分でした。ルール違反である相手コートの判定の場所まで行っての抗議や、ネットをラケットで叩きながら主審に意義の申し立てをするのは、尊敬するプレーヤーなだけに正直悲しかったです。

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:20 am
    by webmaster
    深煎り さんが書きました:前回の世界選手権での彼らはいつもとくらべ異常でしたね。僕はビデオでしか見ていないので全部を知っているわけではありませんが、ポイントに対するリアクションはまるでよくいる中高生のようでした。何の意図があったのでしょうか??

     1999年の世界選手権での中堀・高川は現在の彼らとは別人のごとく熱かったことはたしかです。観戦記にもたしかそう書いた記憶があります。とくに個人戦の決勝ではそこだけみればちょっといただけないものであったかもしれません。しかし正真正銘の敵地(アウエー)であったこと、地元審判に非常にアンフェアな判定を受けたことを考えると、やってほしくはなかったですが。責める気持ちにはなれません。2002釜山のアジア大会ではその世界選手権並みかそれ以上のアンフェアなジャッジをうけ続けた彼らですが、ほとんど感情をおもてにだすことなく、冷静に事態に対処していったのは実にすばらしく、また尊敬できる態度でした。みていて誇らしくなりました。日本選手団全体として、あまりフェアとはいえない態度が、ここ数年は目につくのですが、中堀・高川だけは別です。フェアプレー大賞を彼らにおくるべきです。

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:25 am
    by akap
    昨年まで一プレーヤー(のつもり)でソフトテニスを頑張ってきた私ですが、現在中学校の教員になり、男女のソフトテニス部の顧問をやってます。 プレーヤーとして当たり前に思っていたプレーが中学生にとっては非常に難しく思えるものがあり、指導の難しさを感じつつ、 また生徒達の日々の成長が目に見えてわかるようになり、今では楽しく指導をさせていただいております。

     さて、ここ最近声かけのお話がよく出ています。 声を出すことの意義とは何かということ、私自身もよく考えていました。 最初の方は、新入生にはよく、「声を出せ!」と叱っていました。 しかし、ある出来事で私の考えが少し変わってきました。 私の地区では先日、地区にある中学校全体で合同練習会を開催しました。 そのゲストとして、あるトッププレーヤーの方をお呼びして、練習会を行いました。 練習中に中学生達があまり声を出していないのに気づき、私が思わず「声を出しなさい!」と思わず声を張りあげてしまいました。 そのあとは、さすがに中学生達も声を出してはいたものの、「なんで?」という空気になってしまいました。練習が再開し、途中からまた声が出なくなり、 そのトッププレーヤーの方が中学生達を集めて、このような話をされました。 「本当のトッププレーヤーの人は、練習や試合に集中すれば自然と声がでる。だから、練習中は集中して練習に望むように。」この言葉は私もはっと思いました。 その後、私は練習をするときは、なるべく集中せざるを得ないような状況を作りながら練習させるようにしました。 少しでも怠けることがないよう、私自身もしっかりと集中して生徒一人一人を見るようにしました。 また、校内で試合をさせるときもなるべく緊張感を持たせながら試合をさせていきました。そこで、一年生にある変化が起きていました。 1ヶ月くらい前は試合中に声が出ていなかった一年生達なのに、試合中「よっしゃ〜!」「ラッキー!」と声が出ていたのです。 これには驚きでした。いつの間にか声を出しながら一生懸命試合をしている姿に私は感動を覚えました。 今後、この生徒達がどのように変わっていくかが楽しみです。 声を出すことは、一生懸命プレーすることにつながってくるのだと思います。 そのようなプレーを中学生にさせようとするためには、指導者がいかにして集中させて指導をしていくかが大切なのではないでしょうか。 今後、私も指導者として心身ともに強い選手を育てられるよう勉強していきたいと思っています。

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:26 am
    by webmaster
    昨年の硬式テニスのトップジュニアキャンプ(修造チャレンジ)のことです。そこに練習にきていた鈴木貴男プロがアドヴァイスをもとめられて、集中力が感じられない、というようなことをいったあと、彼は声がでているとかでてないとか(あるいは)だすとかださないとか、そういう問題ではないよ、とつけくわえました。昨年もいろいろな現場にいきましたが、なかでも鈴木プロのこの言葉はとても印象にのこっています

    投稿記事Posted: 火 1 03, 2006 12:35 am
    by けん
    こんにちは。 過剰な声だし、僕の意見について書かせていただきます。 過剰な声だしは、見ていていやです。僕としては反対です。 でも、ルールに反していない限り、それを止めることは出来ないのではないかと思います。 スポーツなんて、ルールがあるから成り立っているだけで、そのルール以内だったら、何をしてもそれを止めることは出来ない。(僕は、それをいいとは思っていませんが。) 例えば、サッカーなんて、ルールがあってないようなものだから(ルールが緩い)、審判が見えないところでは、脅しのようなことや反則をいつもしてる。それを止めるのであったら、審判を増やすべきだし、ルールをもっと厳しくするべきだと思います。 過剰な声だし、脅しのような声だしは、やっぱそれがどうしてもよくなかったら、それを規制するルールを作るしか道は無いと思います。