セルフジャッジ

久々にのぞいてみたら、ソフトテニスのマナーで盛り上がっているようなので、ちょっとコメントしてみようかなと思いました。
私はおよそ10年前、競技名称が「軟式庭球」から「ソフトテニス」となり、ルールも現行のものに変わるという決定を知って、それまで16年やってきた軟式を辞めてしまい、と同時に硬式を始めてからすでに9年以上経ちました。 硬式の世界には「セルフジャッジ」という文化があります。これは審判をおかずに自分たちで自コートのジャッジを行うというものです。 アマチュアの草大会などではほとんどこの「セルフジャッジ」が採用されていますが、驚いたのは公式戦(例えばインカレの1・2回戦くらい)でもこれが採用されているということでした。
わかりますか? 相手のボールがアウトかインかは自分が決めていいのです。 もちろん、誰が見ても「イン」であるボールを「アウト」と宣告するわけにはいきません。 それを続けているとトーナメントレフェリーが出てきて大変なことになります。 ですが、非常にきわどいボールに対する判定は自分の裁量に任されているのです。
こういう環境下では、どうしても自分に有利な判定をしたくなります。 私も最初はそうでした。明らかにベースライン上に乗ったと思われる相手のボールを「アウト」と判定してモメたこともありました。 しかしそのうち、そういうことを続けて仮に勝ったとしてもちっとも楽しくないことに気づくのです。 「相手のボールがインかアウトか判断しかねるときは迷わず“イン”と言えること」これがセルフジャッジの基本理念です。 これを抵抗なく受け容れられたとき、その人のテニスは、精神的に一段高いレベルに達すると思うのです。
さて、ソフトテニスの選手のみなさんにお尋ねしたいのですが、皆さんはいま仮にソフトテニスの試合の一部に「セルフジャッジ」が導入されたとしたら、インかアウトか判断しかねる相手のボールを迷わず“イン”とジャッジできますか? 私は残念ながら、現在のソフトテニス界においてセルフジャッジを導入することは難しいと思います。 前述の質問に“Yes”と答えられる人は非常に少ないと思うからです。
審判の判定にはボールマークにラケットを置いて徹底的に抗議する、相手に対しては野次と暴力的な応援でねじ伏せる……私の知るソフトテニスというスポーツはこういう世界でした。応援(特に団体戦)が好きで、たまたま選手が勝つとそれが応援の力によるものだと思い込んで、また次の応援に心血を注ぐ人間は昔から少なからずいましたが、私的にはまっぴらごめんです。そんなレベルの低い世界には2度と戻りたくありませんし、そのようなスポーツの行く末はすでに明らかなのではないでしょうか。 (次回は“応援”や“声出し”に触れてみたいと思います)
私はおよそ10年前、競技名称が「軟式庭球」から「ソフトテニス」となり、ルールも現行のものに変わるという決定を知って、それまで16年やってきた軟式を辞めてしまい、と同時に硬式を始めてからすでに9年以上経ちました。 硬式の世界には「セルフジャッジ」という文化があります。これは審判をおかずに自分たちで自コートのジャッジを行うというものです。 アマチュアの草大会などではほとんどこの「セルフジャッジ」が採用されていますが、驚いたのは公式戦(例えばインカレの1・2回戦くらい)でもこれが採用されているということでした。
わかりますか? 相手のボールがアウトかインかは自分が決めていいのです。 もちろん、誰が見ても「イン」であるボールを「アウト」と宣告するわけにはいきません。 それを続けているとトーナメントレフェリーが出てきて大変なことになります。 ですが、非常にきわどいボールに対する判定は自分の裁量に任されているのです。
こういう環境下では、どうしても自分に有利な判定をしたくなります。 私も最初はそうでした。明らかにベースライン上に乗ったと思われる相手のボールを「アウト」と判定してモメたこともありました。 しかしそのうち、そういうことを続けて仮に勝ったとしてもちっとも楽しくないことに気づくのです。 「相手のボールがインかアウトか判断しかねるときは迷わず“イン”と言えること」これがセルフジャッジの基本理念です。 これを抵抗なく受け容れられたとき、その人のテニスは、精神的に一段高いレベルに達すると思うのです。
さて、ソフトテニスの選手のみなさんにお尋ねしたいのですが、皆さんはいま仮にソフトテニスの試合の一部に「セルフジャッジ」が導入されたとしたら、インかアウトか判断しかねる相手のボールを迷わず“イン”とジャッジできますか? 私は残念ながら、現在のソフトテニス界においてセルフジャッジを導入することは難しいと思います。 前述の質問に“Yes”と答えられる人は非常に少ないと思うからです。
審判の判定にはボールマークにラケットを置いて徹底的に抗議する、相手に対しては野次と暴力的な応援でねじ伏せる……私の知るソフトテニスというスポーツはこういう世界でした。応援(特に団体戦)が好きで、たまたま選手が勝つとそれが応援の力によるものだと思い込んで、また次の応援に心血を注ぐ人間は昔から少なからずいましたが、私的にはまっぴらごめんです。そんなレベルの低い世界には2度と戻りたくありませんし、そのようなスポーツの行く末はすでに明らかなのではないでしょうか。 (次回は“応援”や“声出し”に触れてみたいと思います)