ページ 56

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 12:29 am
by 孝太
くま さんが書きました:
孝太 さんが書きました:そしてソフトテニスのトップ選手はテニスでもトップ選手になれるのならテニスに転向したほうが「お金になるし」世界的にも有名になれるのになぜ転向しないの?
その考えはまったく卑しいですよ。あなたは有名になるためにお金をかせぐための手段でしかスポーツをとらえられないのですか?そういう見方をするから、侮辱していると、書かれたのだとおもいますよ。きれいごとをいうわけではありませんが、すべてが金銭ずくではありませんよ。


そうですね。
つけ加えますが、「金銭」だけでなく、「名声」(ここでは有名になるという表現ですが)も獲られるということもお忘れなく。それが「プロ」の特権だと思いましたので・・・・。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 1:45 am
by とも
赤こうもり さんが書きました:
よんせん さんが書きました:
孝太 さんが書きました:その時の選手はテニスの選手としても「名誉」と「金銭」も手にしたでしょう。
だからなにも知らないで発言しちゃだめなんです。転向したのはオープン化以前のはなしで金銭は基本的にはからんでいません。つまり賞金大会ではないのです。


 なるほど、そういうことなんだ〜。
 熊谷選手や清水選手が求めたのは、名誉であり、世界一だったというわけですね。


その当時の時代背景を書いたあるサイトから抜粋を載せてみますね。
わが国のソフトテニスが全盛で、テニスはほんの一部の上流社会のスポーツにとどまっていた1900年初頭。慶應義塾大学テニス部が硬式採用を発表した。(1913年のことである。)当時シカゴ大学へ慶應から留学した三神氏が硬式採用を強く訴えたからだ。その理由は?「外国の運動を輸入しながら、外国と試合が出来ぬのはテニスばかりである。日本が世界に肩を並べる為には技を競い合うことから入るべきだ。軟球を使用していたのではだめだ。ただ安いから選んだだけの軟球とは訣別すべきだ。」慶応がこんな気風を生み出したのは、福沢諭吉の進取の精神と国際主義の教育理念に起因するようだ。一方で盛んになった軟式庭球派は「軟球世界統一論」を新聞などで報道し、外国に迎合することを非難した。

1920(大9)年に、三井物産カルカッタ支店にいた清水善造が単身、ウィンブルドンまで出かけて、オールカマー制の決勝(現行制度の準決勝)に進出。また、三菱合資会社ニューヨーク支店勤務の熊谷一弥が8月のアントワープ五輪で銀メダルを取り、同じく三井物産ニューヨーク支店にいた柏尾誠一郎と組んだダブルスでも銀メダルを獲得しました。これは日本五輪史上初のメダルという快挙でもありました。

 その年の秋、当時、日本テニス界のパトロンというべき存在の実業家・朝吹常吉氏が夫人とともに外遊の途中、米国テニス協会(USTA)のジュリアン・マイリック会長ら幹部と懇談し、その折、強くデ杯戦への日本の参加をすすめられました。USTAの関係者は、日本人選手の活躍を知っていて、朝吹に助言したのです。

 デ杯戦は国別対抗なので、国の窓口としての協会が必要です。日本には、まだ協会ができていませんでしたが、デ杯創始国でもある米国は、「書類上、役員組織さえ整えば、あとはなんとかするから」とまで、好意的に助言してくれ ました。そこで、帰国した朝吹は、学校やクラブの関係者と折衝を重ね、理事の頭数をそろえ、日本庭球協会を組織。推されて自らが会長となり、翌1921(大10)年2月、国際ローンテニス連盟(ILTF)に加盟を申請。米国の後押しで、その一員となることに成功しました(正式承認は1923=大12年3月)。

 にわかづくりの日本協会はこの年、熊谷、清水、柏尾(柏尾は実質的にはマネジャー)のチームをデ杯に送り、このチームがインド、オーストラリアを撃破。チャレンジラウンド(現在のワールドグループ決勝)に進んで米国の王座に挑戦しました。

以上のようなことが書かれてました。

ここからはあくまで私の想像ですが、
1、時代背景から考えるとこの3選手はソフトテニス界とっては「裏切り行為」に近いのでは・・・・。
2、3選手とも当時は海外に在住しており、テニスをプレイしており海外の専門コーチがいる可能性が高い。
3、名誉と世界一と「日本にテニスを」強く訴えたかったのでは?

まあ私の勝手な想像ですから・・・。この3選手は日本テニス界の恩人?創始者?まあ歴史において忘れてはならない選手ですね。

私がソフトテニス界の「大先輩」と言うのは「ヘン」と答えたのは、当時は「軟式テニス世界統一論」等を唱えて、テニス界を排除しようとした団体が、「裏切り行為」に近い行動したこの3選手を今では「大先輩」と尊敬している。まあいいでけどね。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 2:27 am
by とも
野球の事情はよく分かりませんが、ソフトテニスと硬式テニスやはやり別物です。
 ただ、技術はとても似ているので、例えば、硬式テニス経験者のソフトテニス初心者の人と、野球経験者のソフトテニス初心者では、硬式テニス経験者の方が上達は非常に早いです。
 その逆(ソフトテニス経験者の硬式テニス初心者)も同様のことが言えるのではないかと思います。


ご意見ありがとうございます。私の言いたいことは技術的なことではないのです。
ソフトテニスとテニスの関係。軟式野球と野球の関係。位置的なものというか・・・。
似ている点が結構多いようなきがしますので。専門的にみれば全く違うことは私もわかります。専門的でなく知らない人が見ると似ている点が結構あるのでは?

怪我が少ないという点では、実際、どっちが少ないんでしょうね?
 よく分かりませんが、軟式野球の安全性と、硬式テニスの危険性ほどの違いはないように思います。
 そして、筋力的な問題もほとんど感じさせないでしょう。

そうきましたか・・・・。軟式野球と硬式テニスの危険度を言われると答えがでませんね。軟式野球は硬式野球と比較して欲しかった。 

硬式テニスは子どもには不向きなスポーツだと言う人がたまにいますが、硬式テニスが子どもに不向きならば、
 軟式野球でさえ、子どもには不向きなスポーツになってしまうでしょう。
 ソフトテニスができた歴史的な背景は、硬式ボールを作ることができず、輸入に頼らなければならなかったところにあります。
 つまり、手軽にやる・・・という点は間違っていませんが、それは怪我とか体力的なものではないんです。
 そして、今では、コストの問題も完全に解消され、硬式テニスでもソフトテニスでも、一般の家庭の子どもが楽しめるようになりました。


全くそのとおりだと思います。しかしソフトテニスが海外へ競技を広める為に「危険度」の問題を出していたようでしたので、これは「売り文句?」なのかなと思いました。

草大会ってどういう意味ですか?


連盟とか団体(中体連等)などの大会と違い、民間企業やクラブ、愛好会などが主催するアマチュアの大会のことをいいます。どこでもコートがあればできる大会から大規模な全国大会まで色々ありますね。

それならば、ソフトテニスでもたくさん大会はあるし、愛好者はとても多いと思うのですが・・・。


私は地方都市(人口15万)に住んでいますが、連盟と団体の大会しかありません。
県体などはテニスから応援を頼むような状況です。(ソフトテニス経験者など)

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 2:37 am
by 赤こうもり
 そうきましたか・・・・。軟式野球と硬式テニスの危険度を言われると答えがでませんね。軟式野球は硬式野球と比較して欲しかった。 

 申し訳ないです。
 間違えました。
 軟式野球と硬式野球の危険度の違いというつもりで書きました。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 3:24 am
by 孝太
よんせん さんが書きました:
孝太 さんが書きました:その時の選手はテニスの選手としても「名誉」と「金銭」も手にしたでしょう。
だからなにも知らないで発言しちゃだめなんです。転向したのはオープン化以前のはなしで金銭は基本的にはからんでいません。つまり賞金大会ではないのです。


確かにオープン化された1968年以降は賞金大会としてグランドスラムなどがなったことは知っています。しかし当時デビス杯などの入場料などで2万ドル?(円だったかな?)日本に動いてますね。「選手」が手にしたかどうかははっきりいってこの時代は闇の中なので軽はずみな返答でしたね。失礼しました。まあテニス協会には入っているだろうけどね。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 7:10 am
by ヒースーマニア
ちょっとみないうちに随分もりあがっているねえ。
しかも全然ちがうほうこうにはなしがいってるし

それにしても、全くしらないことをネタによくぺらぺらしやべれるもんだなあ
そのメンタリティは驚異だよ。たぶんこういう奴が試合ではつよいんだよね。開き直りもたいしたもんだ。

話しのながれってもんがある。なぜ昔の選手のはなしがでてきたのか?デ杯の思いで話しからだろ。それにたいして「とも」氏の投稿はほとんど因縁つけているようなもんだよね。こたえるきにもならんよ。それになんにもしらんじゃないか?一からはなさなきゃならん 橋本聖子の一件をしっているということはかなりの年齢だろうと推測するけどね。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 7:13 am
by ヒースーマニア
とも さんが書きました:私がソフトテニス界の「大先輩」と言うのは「ヘン」と答えたのは、当時は「軟式テニス世界統一論」等を唱えて、テニス界を排除しようとした団体が、「裏切り行為」に近い行動したこの3選手を今では「大先輩」と尊敬している。まあいいでけどね。
しかし、この部分だけはゆるせない。開き直りもいいかげんにしてほしいね。フェアじゃないよ。投稿後に知った事実でなぜ、そんなことが書けるんだ :( 勘弁してくれよ。はずかしくないのか!!

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 9:11 am
by 神太郎
だいぶエキサイトしてきたようです。これ以上だと荒れかねませんので、そろそろ皆さん頭を冷やしましょう。
とも さんが書きました:[

ここからはあくまで私の想像ですが、
1、時代背景から考えるとこの3選手はソフトテニス界とっては「裏切り行為」に近いのでは・・・・。
2、3選手とも当時は海外に在住しており、テニスをプレイしており海外の専門コーチがいる可能性が高い。

そういうような推測を気軽に書かれるからトラブル?になっているのはないでしょうか?
私はそれほど勉強家ではありませんが、当時のテニス界について書かれた本を数冊よみました。

とくに2にあたる事実はすくなくとも私の知る限りではありません。
彼らは軟式で技術を鍛え、それをそのまま持ち込み西洋人を驚かしたようです。
もちろんむこうの選手をみて工夫したことはあったでしょうが。

はっきりと西洋式のテニスを理論とてして日本に持ち込んだのは福田雅之助氏です。
かれが日本へのイースタングリップの紹介者だというのはよくしられているところです。
彼はこの西洋式というかアメリカ式テニスの普及に尽力しました。
が皮肉なことに日本テニスはそこで急速に個性をうしない、同時に力もうしないました。
熊谷一弥氏が福田氏の死後、その著書のなかで公然と日本テニスの衰退を福田氏のせいだと非難したのは有名な話です。
、テニス界を排除しようとした団体が、「裏切り行為」に近い行動したこの3選手を今では「大先輩」と尊敬している。
意味がわかりません。そんな「団体」がどこにあるのでしょう?

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 11:22 am
by とも
そういうような推測を気軽に書かれるからトラブル?になっているのはないでしょうか?


そうですね。ことのはじまりは下の文章なんですが・・・。
日本代表は全員が軟式テニスからの転向者だったんだよねこれが。軟式仕込みのウエスタンの強打とメンタリティで世界を席巻したのさ。そのころは軟式のトップが硬式に転向するのはあたりまえだった。日本の硬式が弱くなったのはトップクラスの転向がなくなったからだ、という見方もあながちまちがってないとおもうよ。


ここで歴史認識はこれでよいとの皆さんのご意見をたくさん頂きました。しかし実際はまだ日本にテニス協会さえ存在していない時期。「軟式のトップが硬式に転向するのはあたりまえ。」の文。時代は「軟球世界統一論」が報道されるような時。まずあたりまえに転向なんて考えにくい。ここからはじまったのです。
それに「日本の硬式が弱くなったのはトップクラスの転向がなくなったからだ」との文。
一部の人の実績を全体のことのように受け取られるような発言。
私もはっきりと早めに「おかしい」と言うべきでした。まわりくどい言い方したことは反省いたします。

とくに2にあたる事実はすくなくとも私の知る限りではありません。
彼らは軟式で技術を鍛え、それをそのまま持ち込み西洋人を驚かしたようです。
もちろんむこうの選手をみて工夫したことはあったでしょうが。


「軟式の技術を鍛えそのまま持ち込んだ」私もそうだと思います。説明不足でしたね。テニスではいろんな打ち方している人がいるように個性を大事にしますからね。ソフトテニスもそうだとおもうのですが・・・。自分にあった打ち方、握り方で打ちたいように打つ。コーチはその選手の長所(個性)をさらに向上できるよう助言する?(勿論その他の指導もしますけど)海外にて自分の長所をさらに伸ばしたのではないかと思います。熊谷氏にコーチがついていたかどうかはわかりません。あれだけの実績のある人ですからコーチがつくのは自然かなと思いましたので・・・・。ひとりなら試合のマネージメントなんて大変だったでしょうね。

はっきりと西洋式のテニスを理論とてして日本に持ち込んだのは福田雅之助氏です。かれが日本へのイースタングリップの紹介者だというのはよくしられているところです。彼はこの西洋式というかアメリカ式テニスの普及に尽力しました。が皮肉なことに日本テニスはそこで急速に個性をうしない、同時に力もうしないました。熊谷一弥氏が福田氏の死後、その著書のなかで公然と日本テニスの衰退を福田氏のせいだと非難したのは有名な話です。


そうなんですか。それは知りませんでした。日本独特のテニス技術が衰退したことは残念ですね。しかしテニスのアマチュア界では「ソフトテニスの技術をそのままもってきたのでは?」というようなJr選手がいます。(海外遠征にいくような選手です)ソフトテニスは未経験なんですが。当時の熊谷氏のテニスを見たわけではないのでなんともいえませんが、似たようなテニス技術であれば、がんばって「日本独自のテニス復活」というようになり「強い日本」になればいいですね。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 12:26 pm
by 耕太郎
ヒースーマニア さんが書きました:
とも さんが書きました:私がソフトテニス界の「大先輩」と言うのは「ヘン」と答えたのは、当時は「軟式テニス世界統一論」等を唱えて、テニス界を排除しようとした団体が、「裏切り行為」に近い行動したこの3選手を今では「大先輩」と尊敬している。まあいいでけどね。
しかし、この部分だけはゆるせない。開き直りもいいかげんにしてほしいね。フェアじゃないよ。投稿後に知った事実でなぜ、そんなことが書けるんだ :( 勘弁してくれよ。はずかしくないのか!!


すみません。また論争になっては困るのですが・・・・。ここでの話しですが歴史の一部にふれて大変勉強になりました。
本題ですが他のところでもよく見ますが、硬式テニスと軟式テニスは別の競技。同じものではないという意見があります。そこを考慮に入れて・・・。
軟式テニスから転向して硬式テニスへ行った方が実績をおさめる。すばらしいことと思いますが、反対に軟式テ二スの愛好者のなかでは、「軟式テニスをやめて硬式テニスに転向した者を先輩などと呼ぶな!!」なんていう人もいるのでは?
それこそ、その人からみれば「硬式かぶれ」なんてことも。軟式テニスに対してかなりプライドをもった人なんてかなりありえるかも・・・・。

まあこんな意見もありえるかなと思い投稿しました。私は知識はそれほどないので今回限りで失礼します。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 12:39 pm
by 神太郎
「軟式のトップが硬式に転向するのはあたりまえ。」の文。
これは全然まちがっていませんよ。当時の日本に硬式テニスの愛好者は皆無に近かった。都会に住む外国人やその近辺にいる上流階級のものにすぎませんでした。ただの社交だったのです。当然、競技レベルは低い。というないに等しいのです。一方で軟式は全盛でした。全国津々浦々にテニスコートがあり、どこにいってもテニスする姿がみられました。当時テニスといえば軟球を指したのです。熊谷も清水も地方の出身です。清水などは大学を卒業して就職し海外に赴任しますが、そこてはじめて硬式テニスをやったほどです。熊谷氏もにたような状況です。当時、軟球は全盛で学校対抗の団体戦が主流でしたが、まだまだ競技としては統一がとれたような状況ではありません。腕におぼえのある選手たちが、強い相手とやりたくなるのは当然で、しかも時代背景は西洋においつけおいこせ、のもっとももりあがった時代です。そこで彼らが機会をとらえて海外に腕試しにでかけていくのはある意味当然の要求です。もちろんだれでもいけるわけではありません。渡航時代が難しい時代ですからね。清水の場合などはまさにたまたまという感じがします。テニスに自信のある当時の若者が世界で自分の力を試すには硬式をするしかなかったのです。ヒースーマニア氏の見解はまちがっていませんよ。
時代は「軟球世界統一論」が報道されるような時。まずあたりまえに転向なんて考えにくい。ここからはじまったのです。
そんなことはありませんよ。「軟球世界統一論」はまったく別のムーブメントです。彼らの硬式転向を阻害したなどという事実は全くありません。めんどうなので省きますが、それほどシリアスなものではありません。
それに「日本の硬式が弱くなったのはトップクラスの転向がなくなったからだ」との文。
よくわからないのですが、それのどこが不愉快なのでしょうか?あの時代に日本のテニスは全盛をむかえ、世界にその名声は響きわたりました。あんな時代は2度とおとづれないでしょう。それが軟球で技を鍛えた選手たちによるものであったことはまぎれもない事実であり、それは軟庭人のみならず、日本人がほこりに思うべきことに私はおもいます。というのもそれはオリジナルだからです。まねごとでなくオリジナルの技術で世界を席巻したのです。すばらしいことですよ。日頃ソフトテニスは日陰の存在であることはみなさん十分すぎるぐらい感じていらっしゃると思います。ソフトテニスが今後世界に大普及するのはなかなか大変でしょう。しかし確実にいえるのは日本で独自の進化をとげていたソフトテニスが世界を脅かしたという事実が愛好者を勇気づけるということはあるし、こういうことは大事な気がしますよ。
。テニスではいろんな打ち方している人がいるように個性を大事にしますからね。
そういうことになったのは最近のことですね。
。熊谷氏にコーチがついていたかどうかはわかりません。あれだけの実績のある人ですからコーチがつくのは自然かなと思いましたので・・・・。ひとりなら試合のマネージメントなんて大変だったでしょうね。
現在ならそうでしょう。当時コーチという職業があったとは考えにくい。選手がアマチュアなのですから。今とおなじように考えてはいけません。チルデンがプロ興行をはじめるのは熊谷全盛の少しあとですね。チルデンはプロ第一号みたいな存在ですが、そのことでウインブルドンや全米にはもちろんでられなくなります。

しかしテニスのアマチュア界では「ソフトテニスの技術をそのままもってきたのでは?」というようなJr選手がいます。
それも最近の話ですね。いわゆるボルグ以降です。それ以前はそのような選手は全部否定されました。ボルグがでてきて一番唖然としたのは日本人です。当時盛んにいわれましたね。ボルグは軟式そのものだって。ボルグの登場でスェーデンテニスが全盛になりますが、来日したスェーデンのコーチにどうすれば日本は強くなれるか、と質問すると、そのコーチは、日本には軟式テニス(の技術)があるじゃないか!といったという話を雑誌でよんだことがあります。
これは見事なはなしでしょ。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 2:13 pm
by とも
神太郎 さんが書きました:
「軟式のトップが硬式に転向するのはあたりまえ。」の文。
これは全然まちがっていませんよ。当時の日本に硬式テニスの愛好者は皆無に近かった。都会に住む外国人やその近辺にいる上流階級のものにすぎませんでした。ただの社交だったのです。当然、競技レベルは低い。というないに等しいのです。一方で軟式は全盛でした。全国津々浦々にテニスコートがあり、どこにいってもテニスする姿がみられました。当時テニスといえば軟球を指したのです。熊谷も清水も地方の出身です。清水などは大学を卒業して就職し海外に赴任しますが、そこてはじめて硬式テニスをやったほどです。熊谷氏もにたような状況です。当時、軟球は全盛で学校対抗の団体戦が主流でしたが、まだまだ競技としては統一がとれたような状況ではありません。腕におぼえのある選手たちが、強い相手とやりたくなるのは当然で、しかも時代背景は西洋においつけおいこせ、のもっとももりあがった時代です。そこで彼らが機会をとらえて海外に腕試しにでかけていくのはある意味当然の要求です。もちろんだれでもいけるわけではありません。渡航時代が難しい時代ですからね。清水の場合などはまさにたまたまという感じがします。テニスに自信のある当時の若者が世界で自分の力を試すには硬式をするしかなかったのです。ヒースーマニア氏の見解はまちがっていませんよ。

なるほど、そのような見解なのですね。わかりました。私が見た資料からはそのようなことは伺えなったです。世界に挑戦するならあたりまえですよね。

時代は「軟球世界統一論」が報道されるような時。まずあたりまえに転向なんて考えにくい。ここからはじまったのです。
そんなことはありませんよ。「軟球世界統一論」はまったく別のムーブメントです。彼らの硬式転向を阻害したなどという事実は全くありません。めんどうなので省きますが、それほどシリアスなものではありません。
それに「日本の硬式が弱くなったのはトップクラスの転向がなくなったからだ」との文。
よくわからないのですが、それのどこが不愉快なのでしょうか?あの時代に日本のテニスは全盛をむかえ、世界にその名声は響きわたりました。あんな時代は2度とおとづれないでしょう。それが軟球で技を鍛えた選手たちによるものであったことはまぎれもない事実であり、それは軟庭人のみならず、日本人がほこりに思うべきことに私はおもいます。というのもそれはオリジナルだからです。まねごとでなくオリジナルの技術で世界を席巻したのです。すばらしいことですよ。日頃ソフトテニスは日陰の存在であることはみなさん十分すぎるぐらい感じていらっしゃると思います。ソフトテニスが今後世界に大普及するのはなかなか大変でしょう。しかし確実にいえるのは日本で独自の進化をとげていたソフトテニスが世界を脅かしたという事実が愛好者を勇気づけるということはあるし、こういうことは大事な気がしますよ。


これは私の感情論になります。まず日本のテニスは全盛をむかえその後衰退していきます。現在も強いとは言える状態ではありません。しかし小さい子供たちが近くで「プロのテニスプレイヤーになる」といって幼稚園に行くか行かないかの時からがんばっています。そこに「あのような表現」をされると不愉快でしかありません。私には「現在も」という意味でとらえました。
それに比べ私が愛好者のひとりとしてしてきたソフトテニスはどうか?コートマナーも守れない中学生。その訳わからない練習内容。ソフトテニスのイメージが悪くなるばかり。身の回りのこと考えてみると、あの発言は同じ愛好者として「私は」恥ずかしくて口に出せないものです。過去の栄光を私も堂々と言ってみたいものです。
しかしテニスのアマチュア界では「ソフトテニスの技術をそのままもってきたのでは?」というようなJr選手がいます。
それも最近の話ですね。いわゆるボルグ以降です。それ以前はそのような選手は全部否定されました。ボルグがでてきて一番唖然としたのは日本人です。当時盛んにいわれましたね。ボルグは軟式そのものだって。ボルグの登場でスェーデンテニスが全盛になりますが、来日したスェーデンのコーチにどうすれば日本は強くなれるか、と質問すると、そのコーチは、日本には軟式テニス(の技術)があるじゃないか!といったという話を雑誌でよんだことがあります。
これは見事なはなしでしょ。


その話は知っています。日本のテニス界では既にソフトテニスの技術はある程度、定着していると感じられます。それを使用するかは個人の自由ですが・・・。ところどころにそのプレイがみられますね。

色々と丁寧にありがとうございました。

今回皆さんの感情を害する発言をかなりしたことをお詫びします。
無理な反対質問などありましたが、ご丁寧お返事をしていただいた神太郎さんには感謝します。かなり勉強になりました。これからも皆さんの個人でもっている知識を共有できるような掲示板であることをお祈りします。
それでは失礼いたします。

投稿記事Posted: 火 7 04, 2006 4:09 pm
by ヒースーマニア
とも さんが書きました:これは私の感情論になります。まず日本のテニスは全盛をむかえその後衰退していきます。現在も強いとは言える状態ではありません。しかし小さい子供たちが近くで「プロのテニスプレイヤーになる」といって幼稚園に行くか行かないかの時からがんばっています。そこに「あのような表現」をされると不愉快でしかありません。私には「現在も」という意味でとらえました。
それに比べ私が愛好者のひとりとしてしてきたソフトテニスはどうか?コートマナーも守れない中学生。その訳わからない練習内容。ソフトテニスのイメージが悪くなるばかり。身の回りのこと考えてみると、あの発言は同じ愛好者として「私は」恥ずかしくて口に出せないものです。過去の栄光を私も堂々と言ってみたいものです。
日本の男子テニスはまったく悲惨な状態だけど、テニス界自体はどう?一時の勢いはないとはいえ、グローバルなスポーツとしての地位を確立しているし、ゆるぎのない世界のメジャースポーツだ。ソフトテニスとはくらべようもない。グローバルであるか、そうでないかは、そのスポーツの優劣とは本来全く関係ないはずなんだが、どういうわけかソフトテニスを劣等よばわりする輩はあとをたたないんだよね。そんな奴はほっとけばいいし、いわせておけばいいという考えもあるだろう。でもね、そのソフトテニス劣等論?がソフトテニス界にも蔓延している節もまちがいなくあるんだな。つまりソフトテニス人自身が劣等意識をもっているのさ。それはあらゆる意味で情報がないことが大きな原因なんだけどね。このサイトの存在意義はそこにあるよね。基本的に硬式テニスを愛好する人はみないだろうから、オレの発言は配慮を書いていたかもしれない。まあいまでもオレはそうおもっていないけどね。あとおおくのことは神太郎さんが代弁してくれた。感謝!

投稿記事Posted: 水 7 05, 2006 8:10 pm
by IMU
とも さんが書きました:
神太郎 さんが書きました:よくわからないのですが、それのどこが不愉快なのでしょうか?あの時代に日本のテニスは全盛をむかえ、世界にその名声は響きわたりました。あんな時代は2度とおとづれないでしょう。それが軟球で技を鍛えた選手たちによるものであったことはまぎれもない事実であり、それは軟庭人のみならず、日本人がほこりに思うべきことに私はおもいます。というのもそれはオリジナルだからです。まねごとでなくオリジナルの技術で世界を席巻したのです。すばらしいことですよ。日頃ソフトテニスは日陰の存在であることはみなさん十分すぎるぐらい感じていらっしゃると思います。ソフトテニスが今後世界に大普及するのはなかなか大変でしょう。しかし確実にいえるのは日本で独自の進化をとげていたソフトテニスが世界を脅かしたという事実が愛好者を勇気づけるということはあるし、こういうことは大事な気がしますよ。


これは私の感情論になります。まず日本のテニスは全盛をむかえその後衰退していきます。現在も強いとは言える状態ではありません。しかし小さい子供たちが近くで「プロのテニスプレイヤーになる」といって幼稚園に行くか行かないかの時からがんばっています。そこに「あのような表現」をされると不愉快でしかありません。私には「現在も」という意味でとらえました。
それに比べ私が愛好者のひとりとしてしてきたソフトテニスはどうか?コートマナーも守れない中学生。その訳わからない練習内容。ソフトテニスのイメージが悪くなるばかり。身の回りのこと考えてみると、あの発言は同じ愛好者として「私は」恥ずかしくて口に出せないものです。過去の栄光を私も堂々と言ってみたいものです。
この話はもうおわっているのかもしれませんが、どうしてもいいたいのでかかせていただきます。私はヒースーマニアさんの最初の文を何度よんでも全く不快に思いません。ともさんの説明をうけてもやはり首をかしげるばかりです。つまりなぜ「不快でしかない」という気持ちになられるのかさっぱりわかりません。ご本人もおっしゃているとおり、感情的なものなのでしょうけど、それを考慮してもです。こういう掲示板ではちょとした行き違いでたいへんなことになることは多々あります。気をつけたいですね。どなたかがおっしゃたようにこれは自戒です。

投稿記事Posted: 金 7 07, 2006 1:17 pm
by ゲスト
はじめまして。まず自己紹介ですが、私は現在Jrにテニスを趣味で教えています。運のよい教え子達は毎年何人か「インハイ」に出場しています。一番運のよかった教え子はベスト8まで進んでいます。
その中にはソフトテニスを中体連終了後、私の元にきてテニスをはじめる子もいます。
私がこの掲示板まできた理由は娘が中学に入学、ソフトテニスをはじめたことがきっかけです。しかしここでは私は部外者というべき存在でしょう。

昨年より中学生のソフトテニス大会を見に行くことがあります。
行って「びっくり」。選手の中にはテニスのダブルハンドを使用する選手が5人ほどいるではないですか?
「ソフトテニス」も変わったなあ。という印象・・・。
実力も飛び抜けていました。詳しく聞くと小学校の時にテニスをしていたとのこと。
「なんだあ・・・・」とそれで終わるつもりでししたが・・・・。
その後、ある掲示板で書かれたことですが、中学生の県の強化選手の練習内容に、テニスのダブルハンドの指導項目があるとのこと・・・・。(昨年見た掲示板ですが、コーリアンバックじゃないよ) (本当かいな?)
「なに?」 まあボールの打ち方は自由だからどのようにしても個人の自由だからいいのだけど・・・・。
ここで本当に「ソフトテニス」は変わってきているなと感じました。