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しかし,今大会劉永東 が最も優れていたのは,その意志決定能力の高さであった.チャンスを逃さずポーチ・ボレーに行動を移し,ポイントを連続して重ねる姿は,比類なきネット・プレーヤーであると言えた.
例えば劉永東の意志決定能力の高さは,こんな場面にうかがえることができた.
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| 三石・渡邊。今大会で郭・方とともに劉永東の凄さを嫌になるくらい思い知らされたのではないか。 |
個人戦で日本の三石康人・渡辺彦継組と対戦したときであった. 順クロスで展開されるゲーム場面で李源學がネットにつくことがあった.
三石が放ったボールはクロスへのロビングで,中間ポジションを取っていた李源學はスマッシュを試みたが,ボールはそのラケットの先を越えて,日本ペアのポイントに繋がるかと思われた.しかし,その直前まで李源學同様ネットに詰めようとしていた劉永東
が,その李源學のわずか後ろから,何とスマッシュを決めてしまったのだ. 李源學が空振りをした直後,まるで時間差攻撃のようなスマッシュを,バドミントン・プレーヤーが行うようなスマッシュで決めてしまったのだ.
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| 国別対抗日本戦での李源學・劉永東 |
それは,的確な状況判断のなせる技だった. そしてこのことは,劉永東が李源學のスマッシュを信頼していなかったからできたのだろうというような議論には繋がらない.
そうではなくて,李源學を良く理解していたからこそのプレーであったと捉えられないだろうか.
つまり,劉永東はソフトテニスを通じて,李源學を正確に把握できていたのだ.
そうでなければ,あの流れるようなポジション・チェンジはあり得ない. 劉永東はソフトテニスを通じて李源學を正しく知ることで,二人の関係の中から実行可能で必要な行動を大胆に起こしていたのだ.
国際ゲームでさしたる実績のない李源學は,韓国チームにとっては未知数であったはずだし,劉永東にとっては大きな不安であったかもしれない.
しかし彼はその李源學を良く知ることで,その不安を軽減させていたように思われた.
また,李源學がこれまでの国際ゲームで見せた弱気な姿がほとんど見られなかったことも劉永東
には幸いしていた.
しかし実際には,李源學自身は我慢に我慢を重ねていたのだ.
劉永東というネット・プレーヤーは,明らかに韓国チームの中でも一目置かれる存在であったが,そのネット・プレーヤーを前にしながら, 我慢強さも李源學には求められていたのは間違いのない事実であった.
そのように僕が確信したのは,男子ダブルス決勝で,李源學・劉永東組がファイナル・ゲームでマッチ・ポイントを握ったときのことであった.
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| 国別対抗戦メダルセレモニーでの韓国男子。韓国男子はバンコク大会につづく2連勝。劉永東は広島、バンコク、釜山と3大会連続金メダルの大偉業を達成。日本男子の国別対抗戦優勝はまだない。 |
それまで,フォアハンドは思い切りの良さが目立ったが,バックハンドでは我慢強さを発揮し,比較的冒険を避けていたように思われた李源學が,
初めてマッチ・ポイントを握ったときに,今大会初めて全力でバックハンドを打球したのだ. 佐賀や大阪で時折見せていた,観客の誰をも驚かせたあのバックハンドだ.
そのバックハンドは,それまでのバックハンドとは明らかに異なって速く,そのイメージの差ゆえ,フォアハンドよりも威力があるようにすら感じられた.
全力で打球されたそのバックハンドは,ストレート方向に大きくバック・アウトした. しかしそれは恐らく今大会唯一見せた冒険的なバックハンドであったし,またそれゆえに,「ああ,李源學は我慢していたのだな.」と思わずにはいられなかった.
そして,劉永東自身もまた我慢していた部分を持ち合わせていた.
グラウンド・ストロークからネットにつく際,金煕洙は強力なストロークを放ってネット・ダッシュしていたが,劉永東はロビングを多用していた.
彼にとってはネットにつくことが重要であった. ネットにつくことさえできれば,その攻撃力をいかんなく発揮できたからだった. 彼は確実に勝つことにこだわっていたようにうかがえた.
大会の一月前に劉永東は父親を亡くしていた.
国別対抗戦での優勝が決まると,母親であろう初老の女性にすがって泣き崩れていた. 男子ダブルス優勝後,近寄るインタビュアーに厳しい視線を投げかけ,まだ残されていたミックス・ダブルス決勝へと心を切り替えようとしていた.
地元開催で,会場にいる韓国選手はプレッシャーが大きかったのだろう. その中で劉永東が私たちに見せてくれたアスリートとしての能力と意志決定能力の高さは,確かに比類なきものであった.
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