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 僕には,明らかにちぐはぐに見えた.ちぐはぐに見えたのは,台湾チームそのものだったかもしれないが,その中でも彼女は特にちぐはぐに見えた.

左から王、張、周、藍、江。国別対抗戦メダルセレモニーに望む台湾女子チーム。国別対抗で韓国から一点とったのは台湾だけ。もちろん王(WANG)が勝った。
  彼女の名前はWANG,Shi-Tingという.しかしこの名前は,プロ・テニス・プレーヤーとしてのツアー名であると聞いた.最高でWTAランキング26位を記録(1993.11)し,アジアを代表する選手として世界で名の知られた選手であった. しかし,ソフトテニスファンにとっては,‘99年に台湾で開かれたソフトテニス世界大会での彼女の活躍で知られているであろう.
 その活躍はあまりにもショッキングであった. そして,そのショッキングという言葉は,日本のソフトテニス関係者にとっては二つの意味を持っていたはずであった.

 第一には,何といっても彼女のストローク技術,特にスライス・ストローク技術の恐ろしい程までのレベルの高さであった.

 インドア・コートであったとはいえ,バックハンドのスライス回転で打球されたボールはほとんどバウンドすることなく,相手選手の空振りを誘っていた. 近年ではアンダー・カット・サーブで空振りを見ることが稀であるくらいにレシーブ技術の発展があった中, WANGが打球したスライス・ストロークを空振りしてしまうという光景は,実に衝撃的であった.

強烈かつ自由自在なバックハンドスライスは健在。

 それはあたかも,‘85に名古屋で行われた世界大会で台湾の黄綿州や呂建和らが見せたアンダー・カット・サーブに, 日本代表であった木口利充,若梅明彦らが空振りをしてしまった時のような衝撃であったに違いない. それはあまりにも衝撃な出来事であったので,日本が手も足も出なかったという事実を認めたくなかったのか, 当時,カット・サーブはソフトテニスの王道ではない,汚いやり方だ,などと言う人が現れてしまうほどであった. しかし,こうした衝撃的な打球は必殺技として相手選手の頭に刷り込まれ,ボディー・ブローのようにじわりとその威力を倍加させてくるに違いなかった. 対戦相手にとっては,いつかは必殺技がやってくるに違いない, それに対応しなければならないという微妙な感情をもたらし,選手を疲れさせるのだ.

 さらにWANGは,ドライブにおいても長けていた.コンパクトなテイクバックから放たれた打球は威力,安定感ともに抜群で,相手選手にしてみれば, スライスとドライブのギャップを埋めるだけでかなりの神経をすり減らされたに違いなかった. アンダー・カット・サーブとは異なり,ラリーの中から突如として現れる必殺のスライスは,いつやってくるのだろうかという不安を与えたであろうし, ドライブとのコンビネーションはより効果的なボディー・ブローとなっていたように感じられた. そしてさらに,彼女のスライスは,コースの打ち分けやボールの回転量,打球の長短などといった, ストロークの質そのものにかかわる要因を巧みに操られたものであり,一球一球が相手選手に与える衝撃は, 相当な重みを持っていたようであった.当然この重みは,ゲーム中に慣れてしまえるような代物ではなかった.

フォアは飛ばない韓国ボールに苦しんだ
 第二の意味は,彼女がテニス・プレーヤーであって,その選手にソフトテニス・プレーヤーが負けてしまったという「ショック」であり,「嘆き」であった. それは日本女子チームの監督であった大野がソフトテニスマガジン誌に当時語ったコメントを見れば明らかであった. そしてこのことは,どこかで見たことがある情景に似ているように僕には感じられた.

 かつて,ソウル五輪前の国内予選,自転車のスプリント競技において, パルコ所属の鈴木祐美子がスピード・スケートの橋本聖子の出現の前に敗れ去った時の一部の自転車関係者が醸し出していた雰囲気に似ていた.
  既にスピード・スケート選手として世界的に名を馳せていた橋本がわざわざ自転車競技に出場し, しかも当時国内では圧倒的に強かった鈴木を倒してしまったことが認められないのか,橋本に対する風当たりは強く,鈴木には同情の声が集まっていた. しかしその後橋本は,バルセロナ,アトランタの各オリンピック国内予選においても鈴木を退け代表になり,そうした風当たりを自らの実力で吹き飛ばしていた. また現にこの釜山アジア競技大会でも,スピード・スケートの大菅小百合が,国内予選では敗退したものの自転車競技代表に選出され,銀メダルに輝いていた. ソウル五輪予選時に敗北した鈴木は,しかしながら周囲の関係者のざわめきや敗北した事実にじっと耐えるかのように,多くを語ることはなかった. そうした彼女の態度に対して,鈴木への同情の声や橋本に対する非難は,鈴木自身の価値をおとしめているように感じられた.
 自転車競技においてみられた選手をめぐる論議や非難は,ソフトテニスの世界大会については少なくとも僕の周りではみられなかった. しかしそれは,国際大会に対する日本のソフトテニス関係者の関心の薄さを表していると理解すればいいのだろうか.

身長は170センチ。女子では出場選手中最高だ。
 しかし監督やコーチ,選手などの当事者達を含めた多くのソフトテニス関係者にとって実際のところは,WANGがもっているアスリートとしての実力を正確に把握できていなかったといったところではないだろうか.

 世界ランキング20位台とは,どの程度すごいことなのか.

 僕は以前,日本の元テニス・インカレ・チャンピオンの話を聞いたことがあるが,その話からプロ・テニス・プレーヤーの実力を推測できるように思われる.
 遠藤愛というプロ・テニス・プレーヤーがいたことを御存知の方も多いであろうが,彼女はWANGと同じ最高位WTAランキングで26位を,ほぼ同時期(1994.9〜10)に記録している. その元インカレ優勝者は,遠藤と度々練習する機会に恵まれたのだが,実質的には「練習」についていくだけで精一杯であって, その経験から自分がプロでやっていくことを断念したというのだ. 元インカレ・チャンピオンが感じたのは,自分と遠藤との間に横たわる圧倒的な「差」であり,その差を「練習」レベルで感じてしまったのだ.

 同様のことがソフトテニスのインカレ優勝者に起こることがあるのだろうか. ソフトテニスはアマチュア競技といっても差し支えないだけに単純な比較はできない. だが,大野がソフトテニスマガジン誌に語ったように,ソフトテニス・プレーヤーがテニス・プレーヤーにソフトテニスで負けて情けないと語るには, WANGに対しての配慮に欠けていた. WANGは遠藤と同レベルに位置付いていたのだ. しかも,Wangは’98年のバンコクアジア大会テニス競技での台湾優勝の立て役者でもあるのだ. アスリートとしての厳しい経験を重ねてきたはずのWANGを過小評価していたのであれば,その原因は一体何であるのだろうか?--->


1999 WORLD CHAMPIONSHIPS in TAIWAN

1999世界選手権でのShi-Ting WANG。無敵無敗で圧倒的な存在感だった。彼女は当時ばりばりのWTAツアープロであったが、けがのためランキングを落としており、それを回復することもなく翌年引退してしまう。プロ転向は1991年、引退は2000年。獲得賞金総額は$775,006(ちなみに遠藤は$463,765。伊達公子は$1,974,253、沢松奈生子は$1,107,264)。ツアータイトルは6(遠藤1)。身長170センチ体重57キロ。(Shi-Ting WANGはツアーでは、シーティーワン、あるいはシーティンワンと呼ばれた)