まだ肌寒い季節のことであったように記憶している.
「釜山に行きませんか?」
と誘われたのだ.第14回アジア競技大会は韓国の釜山で開かれることになっていたが,その釜山までソフトテニス競技の観戦に行かないかという誘いであった.

 これまで,ソフトテニスの国際大会を何度か観戦する機会があった.そこでは,国内大会では決して見られないものを感じ取ることがあった. 国家代表として選ばれた者が放つ洗練された雰囲気,技術,プライド. しかし,僕をもっとも惹きつけたのは,国を代表して選ばれたという事実を受け止めることによって生じるであろう耐え難い緊張感と,そしてそれを乗り越えて我々の前で展開される,心に突き刺さるようなゲームそのものであった.そして,それらがないまぜになって,例えようのない感情を味合うことになる.目の前に展開されるのは正にチャレンジする姿であって,心揺さぶられる世界であった.だからソフトテニスを見るのであれば,国際大会に限ることはよく理解していたつもりであった.しかし,現実として海外にまで行って見ることは考えてもいなかった.

 そんな僕に釜山行きの決心を固めさせたのは,その次の2006年第15回アジア競技大会が,カタールのドーハで開かれるという事実だった.
 カタールでは,今のところソフトテニスは行われていないようだ.ソフトテニス協会そのものが存在しないらしい. だから今回の釜山を見損なうと,次回のアジア競技大会からは,アジア競技大会で開かれるソフトテニス競技を見られなくなってしまう可能性が大いにあった.

 近年ソフトテニスの国際大会は,毎年のように順調に開かれている. 日本が参加する国際大会としては,世界大会,アジア選手権大会,東アジア競技大会,そして,アジア競技大会などがある. しかしこれらの中で,ソフトテニス単独の大会ではなく,しかも規模の大きな大会となると,アジア競技大会に絞られてしまう. アジア競技大会では,選手は各国のオリンピック委員会から派遣されることになり,社会的注目度も高い. 何しろ新聞紙上でその他の競技とほぼ同等に扱われる数少ないチャンスなのだ.

 そしてそのアジア競技大会で,例えば‘94年の広島大会や’98年のバンコク大会では,韓国や台湾選手が「もの凄いプレー」をしたということがまことしやかに語られていたが,僕はその目撃者にはなっていなかった.
 韓国や台湾選手はアジア競技大会で勝利すると,破格の報奨金が与えられる. 明らかに国際大会の中でも選手のモチベーションや準備状況が異なるはずだ. そのアジア競技大会で,ソフトテニスが見られなくなってしまうかもしれない・・・.

 これは決定的であった.とにかくアジア競技大会のソフトテニスを見てみたい,それが最大の理由であった.

 
 

一日の観戦を終えて,
競技場からとぼとぼと歩きながら,
民家の間をすり抜けて30分もすると,
僕たちの宿泊場所であった4階建ての「自然黄土モテル」に戻ることができた.

そんな30分は,心地よい疲労感にも似たものを感じることが多かったが,
それを嫌に思うようなことは決してなかった.

その帰路の間に僕たちは,日中の興奮を冷ましていたのかもしれなかった.