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一体どうしたというのだろう.昨年大阪で開かれた東アジア競技大会で,念願の国際大会個人タイトルを手にした高川が,輝かないのだ.
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JAPAN
vs.C.TAIPEI
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日本男子チームにとって,最初の大きな関門であった台湾チームとの国別対抗で中堀成生・高川経生組はトップで出場し,廖南凱・方同賢組と対戦した.試合前の乱打では廖がいい当たりを見せ,好試合の期待が膨らんだ.
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| これは個人戦ダブルス準々決勝郭旭東・方同賢戦での高川 |
序盤は中堀と廖の素晴らしい打撃戦となった中,高川は果敢に攻めのポーチ・ボレーを見せた.その多くは廖のパッシング・ショットをくらうことになったものの,「予定通り」の印象を受けた.ゲームは中堀の高速サーブが爆発し,また鋭いストロークが安定しており,方はほとんどゲームに関わることなく,一気にゲームカウント3-0と日本チームがリードする.その後台湾チームが2ゲーム挽回するものの,後半高川のボレーが決まり,最後は中堀の息をのむようなバックハンドのパッシング・ショットが決まって,ゲームは決した.
ところで,「予定通り」ということについては少し説明が必要かもしれない.そしてその説明には,80年代後半から90年代前半にかけての国際大会を少し振り返ってみる必要があるようだ.
この期間の国際大会では,それまでのように日本がいい結果を残してきたとは言い難い.特に現行のルールに移行してからは,セカンド・レシーブでの攻めが韓国,台湾ともに厳しく,国内では難なく返球できていたネットから離れてのボレーが,国際大会ではミスとなってしまうことが多かった.
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| コリアンスタイルバックハンド。画像はその最高の名手全寅修。1998バンコク大会にはこの全と、もうひとりの恐怖のバックハンダー崔志勲が出場し、韓国男子を国別対抗戦初優勝に導いた。この画像は2000アジア選手権韓国国内予選から。 |
さらに,爆発的な打球力を見せる韓国のベースライン・プレーヤーの,特にバックハンドからの攻めに,日本のネット・プレーヤー達は,恐らく国内では体験したことのない怖さを味わったに違いない.現に‘95年に岐阜県で開催された世界大会前の日本男子チームの合宿では,当時のスタッフ達は韓国勢の攻撃力を警戒して,それに対する守備的練習をベースライン・プレーヤー,ネット・プレーヤーともに行っていた.日本のネット・プレーヤー達が,韓国勢のバックハンドでの攻撃を怖がっていることをコーチ人達は非常に気にしていたし,その点を日本チームの弱点と考えているように思われた.
このような状況において,日本のネット・プレーヤー達にとって最も避けなければならないことは,「攻めの動き」を止められてしまうことではなかったろうか.
日本人が持ち続けてきた伝統的な「軟式庭球観」では,「後衛」はボールを続け,「前衛」がボレーやスマッシュを決めることが美しいとされ,それは確かに説得力を持って私たちの前に長く存在し続けてきた.だから私たち日本人にとっては,ベースライン・プレーヤーが一生懸命ラリーを続ける中,肝心な場面でポイント力を発揮できないネット・プレーヤーは魅力を欠いた存在に映る.だからこそ「攻めの動き」を止められてしまうことは,避けなければならないことであった.
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| 台湾の偉大なエース廖南凱。四大会連続出場の偉業を達成。四大会で獲得したメダルはなんと8個(金2銀2銅4) |
「攻めの動き」を止められてしまうことを避けなければならない理由はもう一つある.それは,雁行陣形においてはやはりネット・プレーヤーのゲームへの絡みが,勝利への生命線であるということだ.
雁行陣形においてネット・プレーヤーの存在は,相手ベースライン・プレーヤーに大きな影響を与える.そしてより大きな影響を与えるためには,相手ベースライン・プレーヤーの視覚に自らの姿を映し込まなければならない.如何に自分の存在を映し込むことができるか,雁行陣形はそのせめぎ合いに他ならないからだ.
だからこそ,例えパッシングされることがあってもポーチ・ボレーを行い続ける勇気を保つことが重要であって,一昨年,昨年と日本国内で行われてきた国際大会で高川は,それを保つことができていたはずであった.そして,廖南凱・方同賢組との対戦で,高川のボレーが途中からよく決まりだしたことを確認できた僕としては,やはり予定通りだったのだと思っていた.
しかしながら,「予兆」は,廖南凱・方同賢組との対戦の後半からうかがえた.中堀のサーブが,後半全く入らなくなっていたのだ.--->
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