チョムチョンレポ−ト 韓国国家代表決定戦観戦記
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全寅修JEON In-Soo
アルファベットの通りに読むとヂョンインスーだがハングルでは語頭は濁らないという約束事があるのでチョンと発音する。だからBUSANもプサンとなる(だったらPUSANでいいじゃないか!?)。
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結論からいえば韓国後衛のベストは全寅修--チョン・インスー--(光州東区庁)だ。しかし彼はダブルス予選に参戦すらできなかった。昨年度の韓国国内での成績があまりよくなかったということらしい。で、だれと組んだのかは知らないが、関係者によるとそのパートナーが不調だったらしい。
全寅修は1998バンコクアジア五輪個人3位、2000年佐賀アジア選手権ダブルス準優勝であり、とくにアジア五輪では日本戦で2勝、台湾戦で1勝1敗と、エース後衛としてふんばり、韓国の国別対抗戦初優勝の立て役者だった。それほどの実績をもつ選手に予選参加すらさせないのだからなんとも韓国予選というのは厳しい。
日本の予選は昨年度の実績などほとんど関係ない。参加資格は技術等級のエキスパートをもっていることで、昨年度の実績はせいぜい一次リーグの組み分けのシード順くらいのものだ。日本の予選のやり方には今回(いやずうっと)おおいに不満をもったが、それは別の機会にまわそう。
昨年の東アジア五輪のプレヴューで劉永東の不在よりも全寅修の不在のほうが(韓国にとって)痛いというようなことを書いた気がする。結果はその通りで韓国はベースラインにおけるエースを特定できず、ずるずると敗戦した。
韓国は李源學をエース格としてあつかったのだが、日本サイドは佐賀で彼の力を見切って黄晶煥がエースでくる、とみていたらしい。まあ誰だってそう思う。韓国の(大阪での)ベストの布陣は黄晶煥を1,5番で2回つかう、というものであったろう(黄晶煥は予選一位でもある)。しかし、なんとなく李源學をエースで使うような予感がしていて、プレヴューにそう書いた。黄晶煥はどういうわけか韓国サイドの受けが悪いのを知っていたからだ。
全寅修はシングルス予選には参加し、1次は軽々抜け、2次リーグでは金耿漢、方峻煥とふたりの国際タイトルホルダーがいる厳しいブロックにはいった。金耿漢には零敗したものの方峻煥をファイナルで下し、彼をリーグ4位2次リーグ敗退に追い込んだ。方峻煥は御存じのとおり佐賀アジア選手権、大阪東アジア五輪とシングルス個人タイトルを連勝している選手だ。連盟サイドは最終リーグへの推薦権をもっていたのだが、同率(2勝2敗)であり対戦で勝った全寅修を選んだ。最終リーグに進出しないと推薦メンバー対象からも外れるので方峻煥のアジア五輪はここで終わった。
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| 李範珍LEE Bun-Jin--大邱カトリック大学 2次リーグでは李源學、劉永東に勝ち全勝で最終予選に進出した。 |
韓国男子のシングルスというと、ここ数年、ネットプレイヤーが圧倒的に優位なので、ベースライナーの影が薄いが、別に彼らはシングルスをあきらめたわけではない。今回のシングルス予選でも最終リーグに進んだ6人中3人--李源學、全寅修、李範珍--はベースラインプレイヤーだ。技術的な進歩も著しく、とくにネットプレーでは日本のベースライナーではくらべられる人はいない。グラウンドストロークにおいても柔らかいボールを多用し、変化にとんだ配球でみていて非常におもしろい。決め手にはかけるが・・・
最終予選は3人づつ2組にわけてのリーグ戦からスタートするが、一方にベースライナー3人を、もう一方にネットプレイヤ−3人を、という興味深い組み分けをおこなった。これは意図的なものだと思う。ただその意図がどこにあるのかはわからない。全寅修は初戦で李源學に1時間以上という大熱戦の末に敗退してしまう。、李源學はこれでダブルスでもシングルスでも決定戦進出を果たしたことになり、推薦もほぼ確実にした。
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シングルス予選を翌日に控え、練習を終えた劉永東(左)と全寅修。この写真は劉永東のリクエストによるもの。この二人は4年前のアジア五輪での韓国エースペア。国別対抗戦で日本戦、台湾戦とも5番目に登場、北本・斉藤、謝順風・葉育銘をそれぞれ完璧に封じた。個人戦では北本・斉藤を再び伏しベスト4へ。廖南凱・葉育銘にファイナルの末敗退。銅メダルに甘んじた。このバンコクでの全寅修は十二分にパワフルだった。
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全寅修は韓国ニュータイプだ、とは以前に書いた。これは右足踏み込みのオープンスタンスを積極的に使用する後期サンムのプレースタイルをより先鋭化したものだ。パワープレーよりもプレースメント主体であり、韓国従来のイメージとはかなりちがうが、このスタイルはバンコクアジア五輪(日本ボール)をにらんだものだったのではないか。全寅修自身も日本ボールへの調整不足だった佐賀でボールにあわせるのに苦労したが、それも序盤だけで、あとは誰よりもはやく日本ボールになじみ、大会後半の個人戦では、日本を含めた他国の誰よりも、軽々自由自在にボールをあつかった。数週間後のミレニアムカップではさらにこなれたボール扱いをみせた。この高岡での全寅修のテニスは夢のような柔らかなタッチで彼のテニスのひとつの頂点だった気がする。それは強さとかではなくて、スタイルとしての完成度の高さをみせたということだ。
いいわすれたが、彼のテニスには自在に時間をあやつるとでもいうようなテンポ感がある。これは彼の個性であり、誰でもできるわけではなく、実はもっとも特徴的な部分であろう。彼の同僚である鄭光錫などはプレースタイルはそっくりだがこのテンポ感だけは、無い。(それにしてもこの光州東区庁というのは面白いチームだ)
しかし韓国国内でのゲームをみると、わずかばかりだが、全寅修のパワー不足が見えてくる。同じくニュ−タイプ後衛のひとりだった崔志勲--チェ・ジフン--(聞慶市庁→ソウル市庁)は今回微妙にプレースタイルを変化させ、よりパワフルなテニスをみせてくれたこともあって、全寅修のプレースタイルと韓国ボールとの間に僅かばかりの齟齬を感じないこともなかった。 うーんでもあまり関係ない気もする。ペアリング、めぐりあわせの問題なのかもしれない。全寅修はバンコクのころは劉永東(順天市庁)と組んでいた。翌年は金煕洙(聞慶市庁)と組んで世界大会の予選で優勝した。このように以前は連盟主導で実業団の枠をこえたペアリングがよくおこなわれたが、最近はあまりない。実業団チーム自体がちからを持ち、そういう連盟の思惑がはいる余地がなくなりつつあるようにみえるし、またそういう形態を志向している風でもある。それが国際大会へむけての強化体制と微妙にすれ違いをみせているのかもしれない。
残念ながら今回の大会では全寅修をみることはできない。これは取りかえしのつかないことである。今大会で謝順風・陳信亭、葉育銘、北本・斉藤、平山・土師、がみられないのも同じ。葉育銘はけがだからしょうがないとあきらめがつく。があとの選手はあきらめきれない。ルール上の不備ではないか。もっとエントリー数を増やすことを切望したいのである。今回は韓国開催であり、できないことはなかったとおもう。ミックスダブルス増設などよりそちらにエネルギーをつかってほしかった。(もっとも北本・斉藤は予選にも参加しなくなっているのでどうしようもないが)
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