| 旅をするラケット A. 純 |
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4月29日,自宅の留守番電話に電話がかかってきた.外出していた私は,携帯電話で自宅の留守番電話の内容を聞くことにした. フィリピンのソフトテニス・ナショナルチームのヘッドコーチである,Agapito P. Custodio(Pete)氏の声であった.内容は,どうも私の電子メールアドレスを正確に知りたいことなどのようであったが,聞き取れるはずもなく,詳細はわからなかったが,とりあえず安心することができた.やっとラケットが届いたことがわかったからだった. |
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例えば,2000年に佐賀県で行われた第4回アジア選手権大会のフェアウェル・パーティーでお会いしたタイのApiwanさんは,道具が不足していることと,コーチングが受けられないことが問題で,選手を日本に留学させたいとおっしゃっていた.どうも海外では,一部の国を除いて,ソフトテニスの用具を手にすることは簡単ではないことが,おぼろげに理解できるようになった.
そんな時,第5回アジア選手権に参加していたPete氏から,タイのチェンマイで相談を受けてしまったのだ.フィリピン国内では,その前年の2003年からジュニアトーナメントと,選手育成プログラムの展開が始まっていることは,フィリピンの名手であったJosephine
Paguyoから聞いていたが,チェンマイではPete氏だけでなく,Escala Divinaからも頻繁に相談を受けることになってしまった.その相談というのは,フィリピン国内で開催しているトーナメントや育成プログラムには,100本単位でラケットが必要で,何とかならないだろうかという相談であった.やはりフィリピンの人たちは本気だったのだ.自国で展開しているプログラムを,成功させ,もっと良いものに作り上げていく気でいることがわかった.Josephine
Paguyoから以前聞いた話では,これまでフィリピンでは,マニラ周辺の街で定期的に講習会のようなことを行っていて,才能があると判断した子供にはラケットを与えているということであった.ところが,現在開催しているトーナメントでは100人程度の参加者がいるということであったから,用具不足は深刻な問題であるに違いなかった. 確かにそれならば,何とかなるかもしれなかった.問題は輸送コストであった.それをフィリピン連盟が払う気でいるのか?しかし,どの程度の輸送コストがかかるのかそれは不明であったため,チェンマイ滞在中に部室に眠るラケットの話が進展することはなかった.が,とりあえず身近にある眠れるラケットを集めてみることにしたのは,年が明けてからのことであった.我々ASTの一員であるドキッチ氏にお願いして,東京工業大学ソフトテニス部の現役部員達に,不要ラケットを譲ってもらえるようにお願いしたのだ.東京工業大学ソフトテニス部では,代々の先輩達がおいていったラケットなどは,新人学生の練習用として使っていたが,その数が多くなり,ほんとうに不要なラケットが出てきていたのだ. 交渉の結果,東京工業大学ソフトテニス部は快く了承して下さり,3月のとある日,ラケット収集のためにドキッチ氏とともに部室に出向くことにした.破損状態がひどいと判断したものなどを除き,17本のラケットを集めることができた.かなり新しいものもあれば,木製ラケットも含まれていたが,埃を払い,とりあえず私の自宅まで運ぶことにした.さらに,私が学生時代に愛用していたヨネックス社のカーボネックスと使用していなかったラケットの計2本を合わせた,19本のラケットを送ることにした. 民間の輸送業者に事前に問い合わせたが,商行為と勘違いされてしまったようで断られてしまったので,とりあえず郵便で送ることを考えてみた.これが思った以上に安いことがわかり,エコノミー航空(SAL)郵便で送ることにした.結局,規定の大きさにあわせる為に梱包のやり直しがあったり,郵便局の勘違いがあったりなどして,数度郵便局に足を運ぶことになったものの,4500円程度で送ることができた.元々は,輸送代金はあとで請求することを考えていたが,これくらいならプレゼントみたいなものだなと思い直し,そのまま送ることにした.それが3月8日のことであった.
私が10年前の3月にフィリピンを訪れた際に唯一見ることができたスポーツは,バスケット・ボールであった.ボールとひとつのバスケット・ゴールを使って,高校生や中学生達が楽しそうにしている姿が目に焼き付いている.当時のマニラでは,最下層の人たちを目にすることは珍しいことでもなく,それは恐らく現在も変わらないことだろう.寧ろ,スポーツを行えるということは,それだけ裕福であるということなのかも知れない.しかし,決して立派であるとはいえないバスケット・ゴールや,決して新しくきれいであるとはいえないボールを使って学生達は,ほんとうに楽しそうな表情であった. 送られた19本のラケットを使ってソフトテニスに興じるフィリピンの子供達を連想すると,それは次の連想を思い起こさせる.いつの日かそのラケットは,マニラのスラムに住む子供達の手に渡り,野球のバットになっているかもしれない.あるいは,釣り竿代わりに使われているかもしれない.それでも,ソフトテニスの育成プログラムに使われている間は,残された使命を全うしようとするだろう.そして誰かが,「これは日本から送られてきたラケットである.」などと説明するかもしれない.そんな子供達がいつの日か国際大会に出場し,新たな出会いを生みだすことになるかもしれない. ラケットはこれからも旅を続ける.そして,多くのフィリピンの子供達と出会うことであろう.それは,フィリピンの子供達にとっても出会いの始まりであると信じたいし,未来へとつづく輪になっていくと. ラケットの寄贈にあたっては,東京工業大学ソフトテニス部の皆様,AST会員のドキッチ氏の尽力・御理解に負うところが大きく,感謝の言葉もありません.ただただ,ありがとうございました. |
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