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今大会のプログラムには,218名の選手の名前がリストアップされている.そしてその中で硬式テニス・プレーヤーは,ざっと数えただけでも130人は下らないだろう.つまり6割以上の参加者が,硬式テニス・プレーヤーであって,ソフトテニス・プレーヤーだけで選手団が構成されているのは,韓国,台湾,モンゴル,そして日本だけであろう.
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そうした硬式テニス・プレーヤーの中でも,欧米のプレーヤー達に特に注目が集まった.彼女ら・彼らは,名も知られていない硬式テニス・プレーヤーであった.それにもかかわらず,彼女ら・彼らのサービスの技術レベルは非常に高かった.もっといえば,女子においては確実に一部の硬式テニス・プレーヤー達がソフトテニス・プレーヤーを上回っていた.イースタンまたはコンチネンタル・グリップでのサービスは,強烈な回転を伴ってサービス・コートに突き刺さっていた.そうした強烈なサービスに釘付けになり,拍手を送る観衆もいた.だが,こうした硬式テニス・プレーヤー達の多くは,この世界選手権大会で活躍することはないだろう.しかし,例えば,ソフトテニスの全日本総合選手権大会においてすら,サービス技術が高いプレーヤーをこれほどまでの高い割合で見ることはできないのも事実だろう.何故これほどまでの差があるのだろうか,試合を見ながらそんなことに頭の中を巡らしていた.
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硬式テニス・プレーヤーの中には,セカンド・サービスを安全に入れようという選択をしている者がいた一方で,技術レベルの高いプレーヤー達は,アグレッシブな選択をしていた.そして,アグレッシブな選択をしていた彼女ら・彼らは,ダブル・フォールトをよく犯していた.しかしそれは,テニスに対する考え方そのものの違いに起因していたはずであった.彼女ら・彼らは,ダブル・フォールトによく慣れていたといってもいい.最も嫌悪されるべきことは,セカンド・サービスを打たずに,“とにかく入れる”という,ネガティブな発想である.同じダブル・フォールトを犯すのであれば,受け身になってセカンド・サービスを入れた場合と,自分なりのチャレンジを行って打った場合とでは,その後のプレーに対する心理的影響が大きく異なるであろう.彼女ら・彼らにとってセカンド・サービスはチャレンジすべき具体的一場面であるのだ.日常的にそのように考えているのであれば,ダブル・フォールトに対する抵抗力は高まっているはずである.そして日々の練習において,ダブル・フォールトを犯さないように精進するのだ.
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さらに彼女ら・彼らにとってはもう一つ必要なことがあった.対戦相手に,好リターンをさせないことであった.ナイス・ショットは対戦相手に勢いを与え,自らを不利にさせてしまう恐れがある.だからこそ,セカンド・サービスでは“ハイ・リスク,ハイ・リターン”を求めるのだ.
僕達は,この世界大会直前,台湾遠征を行った.中華民国九十二年全国大運動會の観戦を行った.その大会中,簡安志--Chien
An-Chih--(1999〜2001年台湾代表)が,セカンド・サービスでエースを取るシーンがあった.勝負所と見たのであろうか,見事な“セカンド・サービス”であった.そしてこの大会中,どんなレベルの選手であれ,ダブル・フォールトを犯すプレーヤーを頻繁に目撃した.
また,第二十三回全日本大学選抜王座決定戦に出場していた大邱Catholic大學校の選手の中には,日本選手がファースト・サービスで行うレベルのカット・サーブをセカンド・サービスで行っている選手がいた.1試合のうちに2,3回ダブル・フォールトを犯してしまっていたが,そんなことは全く問題ではなかった.対戦した日本の学生にとってはラッキーであったかもしれなかったが,実際には,日本人学生達はセカンドレシーブという攻めどころを見出すことができずにいたのだ.いや,ラッキーなどとはとてもいえなかったのだ.ソフトテニスにおいて最大の弱点であったはずのセカンド・サービスで対戦相手のチャンスの芽をつみ取ってしまうその行為は,非常に高度な作戦であったといえた.そんな行為に対して,その志の高さに僕らは敬服してしまった.台湾でのできごとや,大邱Catholic大學校の選手の話は,硬式テニス・プレーヤーの考えに通じるように思われてならなかった.どのように通じているかといえば,サービスを選択する能力と,サービスは武器であるという理解だ.世界選手権でセカンド・サービスを安全に入れるという選択をしていた硬式テニス・プレーヤーからも,アグレッシブな選択をしたプレーヤーからのどちらからも,意識的な選択が感じられた.そうした選択は,日本国内の大会では,本当に極一部のハイレベルな選手だけにしか感じられない.サービスはよく,ultimate
weapon(最終兵器)であるといわれるが,そのチャンスをみすみす逃しているプレーヤーが,日本国内ではあまりにも多いように思われてならない.
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少し前まで日本国内では,例えばシングルスなどでこんな光景がよく見られた.さんざん粘った結果ゲーム時間だけは長かったが,ゲーム・カウント0-3でリードされているような場面で,応援団のアドバイスや声援といえば,「粘れ.粘っていけ!」といった悲惨な応援であるのだ.例えばこれがせん滅戦であったり,この対戦で自チームが負けたとしても対戦相手が次のゲームに出場するので,そのための情報戦略として「粘る」ということはあり得る.粘ることで相手の情報量を増やす必要があるからだ.しかし,そうではないのだ.さんざん粘った結果0-3であるのだ.それに,それ以上の対戦など行なわれないにもかかわらずになのだ.それなのにこれ以上粘ってどうしようというのだろう.
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こうした例の枚挙に暇はないが,テニスそのものに対する考え方を変えていかなければ,いつまでたっても「粘る」しかないのだ.具体的な行動変容のためには,その根底にある考え方を変えていく必要があるだろう.ソフトテニス・プレーヤーもサービスの練習はしているに違いない.しかし,練習の根底にあるサービスに対する「考え方」にはネガティブな方向性を持ったものがかなり多いのではないのか.
国際大会,特に世界大会では選手の多様性は最高潮に達する.そんな大会は,「考え方」の違いを垣間見ることができる大きなチャンスでもあるはずだ.--->その2へ(クリック)
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