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台湾のスーパースター達。上から郭旭東、簡安志、廖南凱。台湾国体より

 この国でもまた,多くの選手の入れ替わりがあった.特に男子は,昨年の釜山での代表は方同賢-- FANG Tung-Hsien --だけを残して,残りの5人は国際大会初出場という構成になっていた.廖南凱郭旭東葉育銘, 謝順風らのスーパースター達が引退し,この世界選手権は台湾チームにとっては再出発となったはずであった.しかし,再出発といっても国際大会初出場の選手を多く抱え,未知数というよりは不安要素いっぱいの門出であったことだろう.

 僕達は,世界選手権大会の直前の10月,台湾遠征を行なっていた.一昨年(2002)の釜山アジア競技大会の競技終了直後,廖南凱--LIAU Nan-Kai--が台湾に来ないかと誘ってくれたことがきっかけであった.日本でいうところの国民体育大会のような総合競技大会が二年に一度行なわれることになっていて,2003年はその年にあたり,それを見に来ないかという誘いであった.そこで僕達は,その”中華民国九十二年全国大運動會”の観戦を行ったのだ.その際,今回の台湾代表のほとんどの選手を実際に見ることができた.スーパースター達に混ざってプレーする台湾代表の新メンバー達は,とても若かった.だがそれ以上に荒々しさを感じさせた.

 ベースライン・プレーヤーでありながら平然とネットについてプレーする王俊彦 -- WANG Chun-Yen --,ネット中段を連発する林朝章 -- LIN Chao-Chang -- .明らかに,今回の台湾代表は台湾国内では二軍に相当するレベルであった.だが逆に疑問も感じたのだ.どうしてこういった選手達が代表選考を勝ち抜くことができたのだろうかという疑問だ.引退を決意してしまった選手はともかく,ここ数年台湾代表として実績を重ねてきた劉家綸簡安志 -- Chien An-Chih --(劉家綸のペアで,2001年東アジア競技大会個人ダブルス準優勝)を押さえて,どうやって勝つことができようか,そんな疑問を感じさせるようなテニスを展開していた.その答えを見つけることはできなかったが,廖南凱はただこう言っていたのが無気味であった.

「とても荒いけれども,試合になったら分からないよ.」

 来日した男子台湾チームの練習は,これで本当に大丈夫だろうかと思わせるような雰囲気だった.ゲームを行っても相変わらず荒さばかりが目立って,遊んでいるような印象を拭うことはできなかった.時折物凄いプレーを垣間見せることがあって,ひょっとしたら凄い選手達なのではないだろうかと思うこともあったが,あたかも今日は監督がいないからやりたいようにやっているといった,緊張感のかけらも感じさせないゲームを行なっていた.これまでの国際大会での練習と明らかに違った雰囲気に包まれていた.だからといって誰かが若手選手をたしなめることもなく,男子チームコーチであったHuang Chin-Chou(黄錦洲)もじっと静かに見守っているといった風であった.台湾に行った際に,廖南凱が若手選手のことをさして,「台湾の若い人たちはあまり一生懸命練習しないが,それはこの国の文化だから仕方がない」といったようなことを語ってくれた.その言葉が現実味を増して頭の中を駆け巡っていった.

 だが若手の中ではただひとり,楊勝發--YANG Sheng-Fa--だけが台湾で見た印象と異なっていた.彼のフォアハンドは闘牛士を連想させる.闘牛士は,牛の首と背中の間にある急所に最後の一撃を与える前に,急所に向かって真直ぐに,射抜くようにその剣先を向ける.彼のフォアハンドは,あたかもそんな闘牛士のような鋭いフォームなのだ.高く構えたラケットは,その先端が一瞬相手プレーヤーに向かい,それからフォワード・スウィングに向かうのだ.そんな特異なフォアハンドの持ち主は,だが台湾で見た時には,幼さを強く感じさせるプレーヤーであった.ネットしてしまったボールを,恥ずかしがるように走って行って拾うプレーヤーであった.ところが来日した彼は,鋭いまなざしをその顔から発し,一瞬の機会をも逃すまいとするような顔つきをしていた.そしてそんな彼の雰囲気は,彼の特異なフォアハンドの印象をより鋭いものにしていた.闘牛士が放つ最後の一撃,それを狙っているかのようだった・・・.

 事実,楊勝發--YANG Sheng-Fa--は試合が始まると牙をむきはじめた.個人戦ではシングルス,ダブルスともに,韓国の李源學--Lee Won-Hak--に襲い掛かった.よく回転の掛かったボールで食らい付き,鋭い牙で襲い掛かった.日本の花田直弥・川村達郎組とのダブルスで見せたように,鋭い中ロブを使いながら食らい付いていった.タイミングの早さを感じることは決してないものの,鋭く食らい付いて離さなかった.

 好調であった花田・川村組をファイナルで伏し、ベスト4に勝ちあがると,アジア競技大会チャンピオンである李源學--Lee Won-Hak--劉永東--You Young-Dong--組にも食らい付いていた.結局、楊勝發は,シングルス,ダブルスともに李源學にファイナルで負けてしまったが,牙をむいたという事実を観客の脳裏に刻み込んでいた.しかし,他の台湾男子チームのメンバーは,予想に反するようなことはなく,いつの間にかスケジュールを終えていた.個人戦が終了した時点では,男女とも韓国チームの圧勝に近い形で終わっていた.その結果だけをみれば,国別対抗戦も男女共韓国の優勝が最も近いと予想された.

揚勝發のフォアハンド。これは乱打から。コマ数が荒いが、近日詳細版、及び動画も公開予定
準決勝前、山はみえなくなった(本文参照)

 「あの向こうに見える山が雲で見えなくなったら,ここもすぐ雨になるのよ」と,地元広島の方が話をしてくれた.
 この広島市中央庭球場から北西に低い山が見えるが,その山が,雨が降るかどうかの目安になるのだという. 今日最終日は,国別対抗戦が行なわれることになっていたが,天候の悪化が確実視されていた. そして,地元の方の話の通り,北西に見える山が雲に隠れて暫くすると,会場にも雨粒が落ちはじめてきた. それはあっという間に強まり,準決勝を行なうころには激しさを増していた. そしてその結果,広島市中央庭球場での決勝戦実施は不可能と判断され,国別対抗戦決勝戦は広島市郊外にある広域公園の屋内ハード・コートで行なわれることになった.

 会場の急な変更は,多くの観客の失望をもたらしていたが,僕は寧ろ決勝に進んだ韓国チームのコーチ達の様子が気になっていた. それは過去に,会場の変更についてひどくもめたことがあったからであった.
 ‘95年に岐阜で開催された世界選手権大会の国別対抗戦決勝では,天候の悪化から屋外砂入り人工芝コートから体育館への変更が協議されたことがあった. 結局,韓国側の猛反発にあって,体育館での実施は見送られることになった. 幸いにも天候は急激に回復し,やや遅れて屋外で決勝が開かれたのだった. しかしこうした作業は韓国関係者の神経に触れたのであろうか,女子決勝では微妙な判定に激怒した韓国女子チームコーチが,飲み物が入ったペットボトルをコートに激しく投げ付け,その後しばらく中断してしまうという見苦しい光景を目の当たりにしたことがあった. だから,今回の雨も韓国関係者達の神経を逆なでしていないだろうかと,そのことが気になったのだ. しかし,男子コーチである南宗大も女子コーチである張漢渉も別段変わりなく,張漢渉にいたっては,台湾男子コーチである黄錦洲と笑い合っているではないか.
 結局この会場変更は観客にだけ影響を与えたのだろうかと,そんなことを考えながら変更となった広域公園へと向かうことにした.(続く--->クリック!!