spc
spc

 

MAIN | BBS | BLOG | YOUTUBE | FACEBOOK | MAIL

アジア選手権基本情報 2008 | 2004 | 2000 | 1996 | 1992 | 1988 | 旧アジア選手権 | 歴代優勝者
line

追い込み!! 日本チーム 鹿児島最終キャンプリポート 

鹿児島合宿

 

 
小林幸司(ミズノ)アジア選手権には2004.2008に続き3大会連続出場。

ひと練習終えた小林幸司選手(ミズノ)がため息をつく。

いわく『一日休みがほしい・・・』。

天皇杯で二連覇を果たしてからまだ24時間たっていない。川上トレーナーが『まさか日本で一番ビッグなタイトルに二連覇したあと、こんな厳しいトレーニングさせられるとはおもっていなかったでしょう』と笑う。鬼トレーナーである。

天皇杯そして皇后杯はソフトテニス選手にとっての究極の目標であると思われているし事実そう。しかしそれ以上といえる日本代表としての晴れ舞台が、日の丸をつけての海外遠征が、2週間後にせまっているのである。この合宿はそのための国内最後の調整合宿。徹底的に追い込みをかけ合宿中に疲労の極にもっていく、と同トレーナー。

ナショナルチームは国際大会を戦うために招集されている。今年はアジア選手権がその最大の課題、しかしその直前に国内最大のトーナメント。たいへんである。

練習内容は男女でおどろくほどちがう。ルールが競技が違うのではないか、おもえるほどだ。事情を知らない人がみれば男女でルールがちがうと考えてもおかしくない。平行棒と段違い平行棒ぐらいの差がある?!。女子は非常にベーシックな王道とも言える形式の練習がつづく。誰がみてもあっとおどろくような内容の練習ではないだろう。もっともそのスキルの高さはあきれるほど・・・なわけだが。

男子は2面中シングルスとダブルス組にわかれて練習。午後ダブルスは徹底的にダブルフォワードの対策。コートに監督を含めた5人がはいり、最初から中陣にポジション、監督がコート中央からシビアな球出しをしてラリーがスタートという形式に時間を多く割く。この形式そのものは2005年頃からやっていたが、テンポはともかく球出しに厳しさが当初とは段違いとの印象を受けた『それは絶対無理!!』なんて選手の絶叫?!がきかれたりもする。

ボレーワークショップ開講!!

夕刻、男子はへとへとになり宿にひきあげようかという頃、女子前衛陣が斎藤監督のもとにやってきてボレーの教授を願い出る。もう日没がそこまで迫っている時間である。斎藤監督は快諾し、神技的な美しい試技が披露され、女子前衛たちが熱心に見つめる。いったんおわりかけたが、その後、高川コーチ、田中監督も加わり3人の名前衛によるボレーワークショップが延々と日没後もつづいた。メインは斎藤監督でそれを高川コーチがサポート、田中監督は後衛陣にかわって球出しをおこなうなど脇に徹する。とにかく斎藤氏の技術、そして理論を選手に伝えたいというのが田中監督の意図するところだったようだ。

先ほど女子選手そのスキルの高さはあきれるほどと書いたが、よくよくみると、各人その天才でボールを処理している部分がおおいことに気づく、理にかなってないとはまではいわないが、個人差は当然あるにせよ荒削りなのである。斎藤氏の試技と比べるとそれが際立ってくる。

この即席ワークショップはベーシックなボレー指導に終始、ボレーの本質なんとかしてつたえようという斎藤監督の一挙手一投足が実に深い。ちまたでいわれている指導理論の数々が覆されるシーンもあり、痛快でもあった。荒削りといはいえすでに出来上がったトップアスリート、リズムができあがっているわけで、その場での消化はなかなか困難にもみえたが、だんだんに進捗がみられるようになる。無論簡単に身に付く事、対応できることではないかもしれない。しかし選手達の熱心さ、どん欲さはコーチ陣の情熱とともに尋常ではなく、間違いなくなにかを刻印したことは疑いない。

この超豪華ワークショップはいつ果てることなくつづいたが、ボールがみえなくなったところでやむなく終了、つづきは明日の夕刻ということで解散した。私は翌日の朝帰京予定。みられなかったのはまさに痛恨!!。