林朝章(LIN Chao-Chang)のフォアハンドといえば忘れられない一本がある。というよりも、長らくトップクラスのゲームを見てきた中で、記憶に残る『あの1本』とでもいうべきボールだ。2003年世界選手権最終日男子国別対抗団体戦決勝『台湾vs.韓国』の第一ダブルス林朝章・方同賢vs.李源學・劉永東の大詰めである8ゲーム目に林朝章がアドコートからダウンザラインに放ったパッシングショットである。ゲームカウントは4ー3で林・方がリード。ボールカウントは2ー3で李源學・劉永東がリードである。
このボール、李源學の深いロブがコーナー一杯にはいり、回りこんだ林は大きくコートの外から打つことになる。じっくりひきつけられて放たれたシュートは、適度なペースで微妙な高度をとりながら、ヨンドンをかわし、ずうっとアウトコートを飛んで、すっ、とサイドライン上深くにおちた。この打球がインコートだったのはバウンドした瞬間だけ、というボールだったのである。このボールについてはA純氏が労作『牙』のなかでもふれているので参照してほしい(クリック)。
韓国、台湾は過去何度も名勝負を演じてきたが、2003年は特別の意味を持つ。もちろんダブルフォワード時代の幕開けである。この第一ダブルスでもその予兆はあった。李源學もショートボールを処理したあとうしろに下がることはまずなく前線での攻撃に、積極的に、参加していたし、またアプローチショットを放って果敢にダッシュすることもあった。この世界選手権はサービス時のポジション制約が課されていたゲームであり、そのことを考えると両者とも革新的ともいえるゲームであったといえる。
この攻撃的なテニスは20世紀末からの男子トップクラスの顕著な傾向であり、さらに高みを目指してソフトテニスは大きく変化しつつあったのである。毎年国際大会をみているものにとってはおおきな変化を肌で感じることができたものだ。
それにしてもなんでルール変えてしまったのか!ほんと勿体無い話である。方同賢もヨンドンもベースラインからがんがんポーチをしかける。その迫力たるや、筆舌に尽くし難く、この競技にこんなダイナミズムがひそんでいたのだ、とおそれいるしかない。
告白してしまえば、1994年にルールが改正されたとき、僕は懐疑派であった。しかし、国際大会でのテニスの劇的な進化を目の当たりにして、僕はとっとと鞍替えした。だってしょうがない、ほんとにすごいんだもの。
シングルスだってそうだ。あの半面のシングルスはたしかにいびつである。しかし、劉家綸vs.金耿漢(1999世界選手権決勝)、金煕洙vs.方峻煥(2001東アジア決勝)、金煕洙vs.金耿漢(2002アジア五輪決勝)の物凄さの前にはそんなことどうでもよくなる。おそろしくくユニークで魅力的な世界がそこにある。それをさっさとすててしまうなんて...
話しがそれた。林のフォアの話である。結論からいえばほぼ無名の新人林は、名手方同賢を得たとはいえ、韓国のエース李源學・劉永東からまさかの、ほんとまさかの勝利を得る。その『まさか』を象徴するような奇跡の一本であった。
この試合のヨンドンは準決勝とちがって、李源學がかなり立ち直ったので、まずまずの出来で、凡なプレイヤーが一生涯できそうもない神技をつぎつぎにくりだしており、それは圧巻といえ、これほどいい内容をだして負けた例は古今東西そうはあるまい(対謝順風・陳信亨戦がしきりとおもいだされる)。
この勝利が3番勝負を呼び、必殺のクローザー王俊彦・趙士城の登場となるのである。ここでの王・趙のテニスを見て、私は『ダブルフォワード』という言葉を思い付いた。ダブルフォワード時代の幕開けである。
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