中堀・高川は国別対抗の準決勝の李佳鴻・劉家綸戦(上画像)、そして個人戦における王俊彦・趙士城戦と2つのダブルフォワードに敗れた。
中堀・高川の対韓国、台湾というのは今大会でこの2試合だけである(つまり韓国戦はなし)。 0勝2敗は日本のエースとしては重い結果ではある。が問題は内容。雁行陣では、ハードコート上では、ダブルフォワードに勝てないのか?
ひとつの焦点はそこにある。
現時点で結論を出すのはまだ早いと思う。
日本はダブルフォワードへの対策をたててはいたが、それはとても十分とはいえなかったからだ。 すくなくとも中堀・高川は(ダブルフォワードに対し)非常にいい攻めをし、しかも効果をあげた。が、それが徹底できなかった。
これは手探り状態だったからにほかならない。
私自身、正直に告白するならば楽観的だったことをみとめねばなるまい。全く予想外のペアリングだった李佳鴻・劉家綸はともかく、王俊彦・趙士城ならなんとかなるのではないか、と思っていたのだ。日本チームもそうだったのでないか?
個人戦準々決勝の王俊彦・趙士城戦、ファイナルの接戦だった。国別対抗での花田・川村vs.王俊彦・趙士城もそう。カウントは競り合った。しかし、ゲームを引っ張ったのは王・趙であり、終始、彼らのペースだった。まあ花田・川村は個人戦を含めてほとんどいい内容を出せなかった。個人戦でも金裁福・朴昌石という韓国の若手ダブルフォワードにも抵抗らしい抵抗はできていない。しかし中堀・高川はさすがにちがっていた。手探りながらもそのテニスはダブルフォワードの急所を確実についていたのである。成果はあったと思う。
李佳鴻・劉家綸戦はどうか?王俊彦・趙士城と李佳鴻・劉家綸では実力が桁違いであり、判断がつかない。考えるのがおそろしい。あとでやることにする。
しかし結局は相手のペースのゲームであり、勝利を呼び込むまではにはいかなかった。主体性のあるテニスをすることができなかったのである。ダブルフォワードにどう対するか、ということはある程度できた、が、勝つためのテニス、ウイニングテニスをすることができなかった。これは同じく王俊彦・趙士城にファイナルで敗れた黄晶煥・金煕洙(韓国)にもいえるかもしれない。おそらく、韓国ではせいぜい10番手の実力しかない金裁福・朴昌石のみが王俊彦・趙士城に勝てたのは象徴的である。
金裁福・朴昌石は大邱カソリック大学の選手であり、同大学は早くからダブルフォワードをはじめとするいわばフリースタイルのテニスに取り組んでいる。彼らには勝つかたちがみえていたのである。
誤解のないようにいっておくが、雁行陣を擁護するつもりはない。
一切ない。今後おこるであろう、ダブルフォーワードはおもしろくない、とか、 ラリーの続く雁行陣こそ、ソフトテニスらしい、とかいうどうしようもない意見に与するつもりも一切ない。私はすでに雁行陣という殻を破った(ソフト)テニスがエキサイティングであることを知っているからである。さらに誤解のないようにつけくわえると、雁行陣がつまらない、というわけではない。雁行陣の殻に閉じこもるのがつまらない、ということだ。今回、李佳鴻・劉家綸(王俊彦・趙士城ではない)がみせたテニスはおそろしく魅力的だったし、あたらしい局面が開けるのを目の当たりにした。私がみたのはそれである。
くどいがそれはダブルフォワードをみた、ということではない。ブログにも書いたように、ダブルフォワードは目新しい戦術ではない。1980年代から存在し、非常に効果的だった。
1985年の世界選手権個人戦での台湾の劉宏祐・頼詠僚らのオールラウンドなプレーにびっくりされた人はおおいはずだ。また台湾だけのものでもない。古くはあの1991ソウル(カーペット)で韓国のエース張・李がダブルフォワード的な戦術を一部用いているし、昨年の世界選手権では韓国の呉成栗・金耿漢が非常に洗練されたダブルフォワードを披露し、東・渡邊を翻弄した。
しかもクレーコート上で。
同じ世界選手権において、王俊彦・趙士城は個人戦(クレーコート)では金法顕・方峻煥に3-5で敗れている。
国別対抗決勝(ハードコート)は王俊彦・趙士城5-2金法顕・金耿漢
さらにさかのぼると1995年の世界選手権(岐阜砂入り人工芝)では中国が、未完成で荒削りながら、ダブルフォワードを敢行し、中堀・斉藤を撃破、北本・高川ともファイナル(国別対抗準決勝)。
2002年の釜山アジア五輪ではやはり中国の張・任が徹底したダブルフォワード戦術で三石・渡邊を2度にわたり破っている。
張・任は廖南凱・蔡和岑、中堀・高川には完敗
さらにいえば1990年代の後半以降、韓国、台湾のベースライナーはショートボールに対して前進フットワークで処理後、後陣に下がることはほとんどなくなった。
台湾男子がハードコート以外でのカットサーブの使用をひかえるようになったのはそこにおおきな要因がある。ベースライナーに前につかれることをおそれたのである。当然セカンドも長くいれる。全寅修(韓国)などはサービスリターンを含めたショートボール処理ではまずネットに詰め攻撃的なポジションをとってきた。
以前にイラストレイテッドで全寅修をとりあげたとき、そのような戦術に対する日本の無策を嘆いたことがある。ショートボールの処理を含めて、国際大会の場では好機に後衛が攻撃的なポジションをとることはむしろ常識である。そういう意味では未だにそれに対して手探り状態の日本は責められるべきかもしれない。
実際、ここ数年、短いセカンドサーブを打っていたのは日本だけなのである。しかしやっかいなことにベースライナーに対して短いサーブをいれることは日本国内では有効であった。日本の後衛はかならず下がるからである。まるでステイバックがルールであるかのようにふるまうからである。国際舞台での進化と、日本国内での旧態然としたテニスのギャップが大きな問題ではないか。
1999年の世界選手権(インドアハードコート)のときの観戦記に私は以下のように書いてある『(郭旭東は)レシーブ時に相手のカットサーブが短いとすかさずネットにつめ、ほとんどをポイントに結びつける。これはこのペアだけでなく廖・葉、謝・陳それに韓国もそれが当たり前になっている。積極的にやらないのは日本だけで、またそうされたときの対応策も充分とはいえないようにみえた(バンコクでも随分やられていたはずだが・・・)
』
話しをもどす。いいたいのは王俊彦・趙士城は決して突然変異ではない、ということである。男子テニスの流れとして、より早く(タイミング)、そして速く、攻撃的になってきていたのである。王俊彦・趙士城はそれを究極まで押し進めた。それがハードコートという場を得て一気に爆発した。さらにその先に李佳鴻・劉家綸がいる。
国際大会は常に衝撃的で、ソフトテニスの存在意義にまで迫る根源的な問いかけが常に提示されている感がある。
中堀・高川は、その問いかけを一身に受けているわけで、李佳鴻・劉家綸戦では彼らなりの対策がみてとれた。
結果はでなかったが、勝負とはそういうものなので、それはしょうがない。彼らが今後どうすすむのか、注目である。(続く)
|