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男子ダブルス 総評 全対戦結果

メインイベントともいえる男子ダブルス (団体戦こそメインと言う人もいるだろうし、それが多数派かもしれないが、私は男子ダブルスこそがメインイベントだと信ずる) 日本は3大会そのメインの勝者となれず、決勝進出いや、直近の2大会(2007、2003)はベスト4すらおぼつかなかった。アウエーだった2007年はともかく2003年は日本開催であり屈辱的といえるだろう。

菅野中本しかしその溜飲をさげるような菅野・中本、篠原・小林の快進撃。団体戦の完敗からはにわかに想像しがたい、完璧な勝利!である。その日本同士の決勝の素晴らしさをどうたたえよう!。日本人が4人で戦っていながら国内大会では決してみることの出来ない最高のゲーム。世界一を決するにふさわしいスケール、緊張感、スピード、高いスキル、大見得を切るようなドラマチックな展開。

なぜこのような凄いゲームになったのか?3回戦からはじまった台湾、韓国の強豪との対戦、難敵をクリアしていくうちにストッパーが次々とはずれ、菅野・中本、篠原・小林ともにとんでもないステージにのぼっていったのだ。世界一を決定するという、これ以上ないというソフトテニス界最高の檜舞台で実力以上を発揮、ではない、そこでこそ初めて明らかになった、引き出された4人の真の実力、なのだと思う。すごいものを見たな、とおもう。

内容的にも実に興味深い。篠原・小林の超過激なダブルフォワード(他のどのペアによりもリスクを背負っている)とそれを阻止せんとする菅野・中本。会場にいる誰もがそうだったとおもうが、菅野・中本がマッチポイントを握るまで篠原・小林の勝利を疑う人はいなかったとおもう。私も目前で繰り広げられる激戦、必死の攻防をみながら、クレーでも本格ダブルフォワードの時代が到来か、と考えていた。しかし、菅野・中本はぎりぎりのところでダブルフォワードをかわした、攻略した。菅野のロブをまぜた巧みなやわらかさと、中陣で篠原・小林の総攻撃を信じられない反応とテクニックで跳ね返した中本。両者ともに大きな問題提起を行ったのである。斬新で革新的 しかもドラマチック、希有な決勝であったとおもう。

女子シングルス日本男子のダブルス優勝は1995年の岐阜大会における北本・齋藤以来4大会16年ぶり。アウエーでの優勝となると1983年台中大会以来9大会28年振り。
日本同士の決勝同士討ちは第二回台中大会以来12大会34年振り3回目。
中本は早稲田大学在学中、学生が世界タイトルをとったのは第二回での木之村功一(青山学院)以来12大会34年振り。
日本男子の決勝進出は1999年台湾林口大会(中堀成生・高川経生が準優勝)以来12年ぶり。

4大国際大会では2001年東アジア競技大会(大阪)での中堀・高川以来、9大会10年振りの優勝。アウエーということでは1997年バンコクでのアジア選手権における北本・齋藤以来、14大会15年振り。
なお日本男子の同種目 通算優勝回数は7回で単独トップ。

4大国際大会での同種目、日本男子優勝は2001年の東アジア競技大会(大阪)での中堀・高川以来9大会10年振り。アウエーでの優勝となると1996年のアジア選手権(バンコク)での北本・齋藤以来、13大会14年ぶりのこと。

菅野創世は川口市役所の所属、同市役所は第二回世界選手権(木之村)、第五回世界選手権(沖田・桜井)に個人優勝しており3回目の世界制覇ということになる。第二回、第五回とも台湾台中市での開催、そして今回といずれもアウエーというのも凄い。また2000年アジア選手権(佐賀)では同市役所所属の土師宗一がダブルスで優勝している。

ドローは微妙である。一見フェアにみえるが、第一、第二シードが優遇されている。上位シードのプライオリティが高いのは当然ともいえるが、シード順の決定法が曖昧なので問題なのである。結果的にこのドローが上位2シードの首をしめた感があるのは皮肉ではある。

 

 

優勝 準優勝 3位 ベスト8
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菅野創世・中本圭哉
(日本)
篠原秀典・小林幸司
(日本)
ペウオンソン・キムテジュン(韓国)
キムドンフン・キムジュンユン(韓国)
ヂョンジュヒョン・ヤンヂンハン(韓国)
林鼎鈞・劉家綸(台湾)
FERLY/SUSILO(インドネシア)
EDI/PRIMA(インドネシア)

 

女子シングルス 世界ソフトテニス選手権

新世界チャンピオンの菅野創世・中本圭哉(日本)。ドローをみると3回戦の中国戦タイブレークまでもつれている(7G)。どんなゲームだったのか?山場は次のヤンヂンハン(2008アジアチャンピオン)とのゲーム。ここを乗り切り活路が開けた。菅野の天才的なタッチと独特の浮遊感、中本の異様なレスポンスのコラボレーション。菅野はいつも通りという感じもするが、中本の覚醒ぶりは意外ではないが予想以上。父君の中本前全日本女子監督は『幼少時から環境が国際レベル』だったという。たしかに身近に中堀・高川が常にいたわけで、これ以上の環境は日本にはない。もっともこのペアが今回世界チャンピオンになると予測出来た人はいまい。しかも準々、準決、決勝といかにも負けそうな雰囲気、展開になりながらの勝利。不思議なチャンピオンである。このペアが今後どうなるかは未定だが、昨年の上原・杉本とともに国際大会は是切りという可能性が高い。残念なことだ。来年のアジア選手権には主催のアジアソフトテニス連盟がワイルドカードを切り、国家代表の枠をこえたアジア連盟推薦ペアとして出場させるべきだ。そういうことでソフトテニス界は劇的に変化していくとおもう(楊勝發・李佳鴻や篠原・小林、ペ・キムもドンフンも同様である)。

2位篠原・小林(日本)。3回戦から韓国、台湾、韓国、そして決勝ともっともキツいゾーンにはいったが、次第に調子をあげ、準決勝、決勝では頂点に達していた。その頂点は彼らの最高到達点といえる高さで、つまりいままでみたこともない最強の篠原・小林がムンギョンのナンバーワンコートに立っていたのである。まさか決勝を敗者としておえるなんてとても考えられなかったのだが・・・ダブルフォワードがクレーでも使える戦術だと証明した功績は極めて大きい。

3位 ペウオンソン・キムテジョン(韓国)。昨年のアジア競技大会ダブルス銀メダル。そこでは林鼎鈞・劉家綸、中堀成生・高川経生を立て続けに5−0で撃破したことはプレヴューでも書いた。つまりこの種目の大本命。

菅野・中本との準決勝、追い込まれて崖っぷちに立たされてからの猛烈な追い上げは凄まじく、日本ペアは応接するいとまがないほど。しかし、あれが本来のペ・キム。とするとそれまではいったいなんだったのか?くやんでもくやみきれないに違いない。団体戦ではクローザー(3番)で出番無し。ダブルスでの緩いドロー。完全なエンスト状態だったのか?

キムドンフン・キムジュンユン(3位)。第二シードだが、キム監督の考えるところの今回のエースペアとみて間違いあるまい。団体戦でもこのペアかと思ったのだが・・・さすがにバランスを考えたのか?ふたりともキム監督が、現在の所属こそ違うが、テグカソリック大学で手塩にかけて育てた愛弟子である。たしかにわくわくすような可能性に満ちたペアリング。しかし準決勝は全くエンジンがかからず。試運転も無しで、しかも熱戦を二つこなしフル回転状態の篠原・小林戦にのぞむなんていくらなんでも無謀ということ。このゲーム、ふたりは何もしてない。本来なら凄いゲームになるところなのだが・・・
ベスト8の林鼎鈞・劉家綸(台湾)。団体戦で完敗した篠原・小林と再び準々決勝で対戦。凄い気迫でぶつかっていき序盤競り合うものの結局玉砕。まあ完敗だろう。台湾は25日まで同国でもっとも重要なトーナメントである全国運動会が開催されており、代表も全員各地区の代表として戦い、ムンギョン到着が開幕前日の夕刻。林鼎鈞・劉家綸はその全国運動会でダブルスチャンピオン(劉家綸はミックスにも優勝)。彼らに限らず台湾選手はそこで燃え尽きており、再起動はならなかったようだ。

ドローの薄い二つのブロックを勝ち上がりベスト8に入ったのはともにインドネシア。画像はFERLY/SUSILO組(左がFERLY)。インドネシアはデヴィスカップ代表を3人そろえ、第一級の技量をもち、地元開催のシーゲームズ制覇を虎視眈々と狙っているが、ここでは団体戦に続き韓国の前に敗退。

準々決勝のヂョン・ヤン(韓国)vs.菅野・中本は中盤の山場。出足はいつものヤンヂンハンだったが、菅野のイレギュラーでひょうひょうとした打球配球に次第にテニスを見失う。後半、ヂョンがキャリア不足ももろにみせ大崩れ。