『わが世の春・・・・ダフ屋まで出た体育館』 55年前の東京インドア

55年前 1962年昭和37年2月に開催された第二回東京インドアの盛況ぶりを伝える記事(日刊スポーツ1962年2月12日朝刊)。東京インドアは集客力のある大会として知られているがダフ屋まででたというのは驚きである。

1962年といえば東京オリンピック(1964年10月)を二年後に控えた年。記事中には対外試合はほとんどない、とあるが、『ほとんど〜ない』のことば通り、無い、わけではなく1956年に日本、韓国、中華民国(台湾)の3カ国対抗による亜細亜軟式庭球選手権が立ち上がり2年に一度三ヶ国持ち回りで行われている。この1962年には第4回大会がソウルで開催された。この亜細亜軟式庭球選手権は10回行われ、11回(1975年)めが第一回世界選手権に発展することになる、

こちらは大会告知の記事。男子が16組 女子が8組。
こちらは大会告知の記事。男子が16組 女子が8組。
こちらは内外タイムスの記事。伝説の黒田・鳥井の写真が。鳥井久充選手(日大卒)は史上最高前衛の呼び声が高い
こちらは内外タイムスの記事。伝説の黒田・鳥井の写真が。鳥井久充選手(日大卒)は史上最高前衛の呼び声が高い

こちらの記事は前日大監督の加藤史夫先生に提供いただきました。加藤先生は加藤・清水で1969年の天皇杯チャンピオン、亜細亜大会でも活躍された伝説の名手です。




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