豪腕ヒースーのアタックストップ!!さらに・・・・『世界チャンピオン列伝 マカオでのキムヒースー』——-[ボートラあり] 澳門追想・・・・

四大国際大会個人で七度の決勝進出は史上二位タイ

キムヒースーは2007年第13回世界選手権ダブルスのチャンピオン(ペア キムジェボク)。
この動画はその世界選手権に先立つこと2年、2005年秋にマカオで開催された東アジア競技大会国別対抗団体中国戦でのキムヒースー。ペアはペファンソン。

1998年アジア競技大会が初代表。最後の大会となった2007年世界選手権までに8回代表の座に(除2003、2006)

その間個人戦にはのべ12回出場(ダブルス7、シングルス2、ミックス3)、なんと7回決勝に進出(ダブルス3シングルス2ミックス2)、優勝したのは最後になった2007年世界選手権ダブルス(ちなみに7回の決勝戦のうち四度が韓国同国対決だった)。

七度のファイナル進出はヨンドンには及ばないがドンフンとならぶ史上2位。

旧ルールシングルスの名手であり、タイトル(二度出場しいずれも同国対決に敗れ2位)こそとれなかったが、最強だろう。すくなくとも団体、個人を通して他国相手には一度も負けていない。

2007世界選手権でのキムヒースー

最後までシングルシャフトを貫く・・・

シングルシャフトを使っているが、当時からネットプレイヤーでシングルを使うのは彼以外は皆無だった(当時ベースライナーに関してはシングルシャフトが主流)。

キムヒースーこそ最後のシングルスシャフトネットプレイヤーだろう。

世界の誰もがダブルシャフトを使っていた2007年に彼はシングルシャフトを使い世界一に登りつめた、世界ダブルスチャンピオンになった。これほど痛快なことはそうはない。

シングルシャフトのネットプレイヤーが世界チャンピオンになるのは、実に5大会20年ぶりのことだった。
結局、彼は引退(2008年)までシングルシャフトで通すことになる。
(この動画でのアタックストップはまさにそのイチョウ部分でヒットしているかにみえる)

2004アジア選手権(チェンマイ)でのキムヒースー

バズーカーサーブの名手であり、パワープレーが身上だが、一方で超スピン過多のスライス、リバースサーブの名手でもあり、なかなか一筋縄でいく人ではない。

現在はムンギョン女子チームの監督。2019パレンバンアジア競技大会では盟友ヨンドン、キョンハンの片腕として男女のコーチを務めた。

キムヒースーの主な戦績

1998アジア競技大会(バンコク) 国別対抗団体戦 優勝
1999世界選手権(台湾 林口) 国別対抗団体戦 準優勝
2000アジア選手権(佐賀) 国別対抗団体戦準優勝 ダブルス準優勝
2001東アジア競技大会(大阪) 国別対抗団体戦準優勝 シングルス準優勝 ダブルス3位
2002アジア競技大会(釜山) 国別対抗団体戦 優勝 シングルス準優勝 ダブルス準優勝 ミックスダブルス3位
2003アジア選手権(チェンマイ) 国別対抗団体戦準優勝 ダブルス3位 ミックスダブルス準優勝
2007世界選手権(アンソン) ダブルス優勝 国別対抗団体戦準優勝 ミックスダブルス準優勝

個人戦のおける準優勝が実に6回、7回目の決勝進出が2007世界選手権ダブルス決勝。これが唯一のタイトルとなった。

マカオでのキムヒースー。これは中堀・高川とのブロンズメダルマッチ。後ろがイゾンウ

追記 後半のアタックを倍返し編としたのは動画作成当時、例のドラマがはやっていたためで、他意は無い。念のため。







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