神崎・小野寺 vs 玉井・紙森 1998天皇賜杯全日本選手権 準決勝

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最終日、素晴らしいゲームが相次ぐ・・・・

1998年というと第13回アジア競技大会(バンコク)が年末に開催されている。

全日本はその2ヶ月半ほど前に開催、初日雨(当時、現在のような過激な雨天強行はなかった)。実質土日で消化している。

最終日鶴岡のコートにはたくさんの観衆が詰めかけ、素晴らしいゲームが相次いだ(とても観戦しやすい会場)
前年まで中堀・高川が3年連続優勝を果たしており4連覇なるかどうかが焦点。

若手筆頭株

これは決勝での玉井・紙森

当時はその中堀・高川、北本・斎藤、平山・土師、そして神崎・小野寺がしのぎを削っていた。

神崎・小野寺

今大会では北本・斎藤を除く3組がベスト4を占める。

北本・斎藤は当時国際大会においては大エース(当時、世界選手権、アジア選手権のダブルスチャンピオン)。

しかしなぜか天皇杯では早いラウンドでの敗戦が続いていた。

この年も高校生の室谷・末廣(岡山理大付属)に5回戦で敗れ(3−5)16本。最終日に勝ち進めず。その室谷・末廣は準々決勝で玉井・紙森にファイナルで惜敗している。

玉井・紙森は若手筆頭株でアジア競技大会の代表合宿にサポートメンバーとして帯同。

7月には西日本選手権に準優勝、8月にバンコクで開催されたアジア五輪プレ大会でも活躍している。

神崎・小野寺は代表こそ引退(1996年より代表選抜予選不出場ナショナルチーム辞退)していたが、1996、1997と二年連続で天皇杯決勝(いずれも中堀・高川に惜敗)にでており全盛期のような強さを見せていた。そんな時代・・・・

ちなみにバンコクアジア五輪代表は
北本・斎藤、中堀・高川、平山の5名。







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