The 7th ASIAN Soft Tennis Chamipionships in TAIWAN
一番古いのは世界ソフトテニス選手権で1975年にスタートしている。さらに前身となる三ケ国対抗のアジア選手権(日本、韓国、中華民国(台湾))がスタートしたのは1956年こと。それとあわせると世界選手権の歴史は半世紀を越えていることになり、すでに23回も開催されている(三ケ国対抗9回、世界選手権14回)。
もっとも最古といえばアジア競技大会(アジアオリンピック評議会(OCA)主催 アジア五輪)は第二次大戦後すぐにスタートしているのでダントツで古いわけだが、ソフトテニスが競技種目に加わったのは1994年のこと(1990年には公開種目になっている)。余談になるがアジア競技大会初期にソフトテニス参加が真剣に検討されたとのことだが、三国の足並みが揃わず流れた、との話しをさる長老から聞いたことがある。もしその時、アジア競技大会の種目となっていたなら、その後のソフトテニスはまったく別の展開があり、今とはまるでちがう状況があったにちがいない。
50年代にスタートしたソフトテニスの国際大会は三ケ国対抗から世界選手権にグレードアップし隔年開催(奇数年)されてきたが、さらなる発展をめざしてアジア競技大会への参加を模索しはじめる。
アジア競技大会への正式採用にむけての大きな一歩としてアジアソフトテニス連盟(ASTF)が設立され、その主催大会として1988年の晩秋(11月20日~)に名古屋市レインボーホール(現ガイシホール)で第一回アジアソフトテニス選手権が開催された。(男子国別対抗団体戦、女子国別対抗団体戦、男子ダブルス、女子ダブルスの4種目。参加国は10カ国)
この記念すべき第一回大会は準備期間があまりなかったこともあり平日開催となった為、あまり観衆こそ多くなかったが大会はおもしろかった。アジア競技大会への参加という気運がもっとももりあがっていた時期、しかも男子では韓国、台湾とも第一期黄金時代を迎えていたのである。
韓国には絶対のエース当時の世界チャンプであるキムソンス・チャンボンクンはキャリアの頂点をこの名古屋で築いた。その破格のテニスは多くの人に深い感銘を残している。前年の世界選手権(ソウル)に続いて団体、個人の完全優勝。日本ボールしかもインドアでの優勝だけに価値が高い。台湾は1985年の世界選手権(名古屋)でのメンバーをほぼ温存し、得意のインドアでその力を存分に発揮。優勝こそならなかったものの、2年後のアジア競技大会(公開種目 北京)での団体優勝への布石となった。一方台湾女子は団体、個人の二冠を制した。開催国日本は辛酸をなめたが、男子では’86年のアジア学生選手権で個人優勝を果たし、若手の筆頭と目されていた神崎・小野寺が個人戦で決勝進出を果たし日本のエースとして存在感をみせた。
以来、24年、大会は4年毎に開催、回を重ね今回で第7回を数えるに至ったわけだ。世界選手権は昨年で14回となったが基本的に日本、韓国、台湾の3国で開催されてきた(2度ハワイで開催されているがいずれも台湾問題回避のため日本主管で開催)。しかしこのアジア選手権はその3国以外での開催が3度を数える(ジャカルタ、バンコク、チェンマイでそれぞれ一度づつ開催)。今回、台湾で開催されるわけだが、意外なことに同国では初のアジア選手権開催となる。また台湾で国際大会が開催されるのは1999年の世界選手権以来13年振りのことになる。
つづく
- 1988 第一回大会 日本 名古屋市(4種目)
- 1992 第二回大会 インドネシア ジャカルタ(6種目)
- 1996 第三回大会 タイ バンコク(6種目)
- 2000 第四回大会 日本 佐賀市(6種目)
- 2004 第五回大会 タイ チェンマイ(7種目)
- 2008 第六回大会 韓国 聞慶市(7種目)
- 2012 第七回大会 台湾(中華台北) 嘉魏市(7種目)
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