初の単複二冠を達成 チャンハンソブ 世界チャンピオン列伝

伝説のチャン・リー

韓国最初の黄金期を代表する名手。イスクウとのペアで1991年世界選手権ダブルス優勝(団体戦も)。チャン・リー(チャン・イ)として盛名をはせた。

4年後の1995世界選手権(岐阜)でシングルスに優勝(ダブルスは出場せず。当時、どちらかにしかエントリー出来なかった)。

シングルスはこの1995年岐阜大会が初採用であり、史上初の単複世界チャンピオンになる。

岐阜世界選手権を最後に現役(光州東区庁)を引退。27歳の若さだった。

以後韓国女子実業団の古豪NHBANK(農協銀行)に移り指導にあたる。

昨年のインチョンでのアジア競技大会で完全優勝を果たした韓国だが、女子の監督を務めたのがチャンさんだ。インド世界選手権でも采配を振るう(韓国の代表監督は基本的に代表選抜一位選手が所属するチームの監督が務める)。

17歳で初代表!笹倉・稲垣を零封!!衝撃のデヴュー戦

初代表は1985年の第6回世界選手権(名古屋)。この時はイスクウとともになんと17歳、つまり高校生だった。この時(この頃)の韓国代表はサンム(軍隊内チーム)が主体なので確かに現在よりもかなり若いチーム(最年長はキムソンスーの23歳。キムソンスーは2年後の1987世界選手権チャンピオン)なのだが、それにしても若い。

2008年NH OPEN終了後、愛弟子キムチウン(世界タイトルを5獲得)の引退セレモニーの様子。涙がとまらない。農協チームのホームコートにて
2008年NH OPEN終了後、愛弟子キムチウン(世界タイトルを5獲得)の引退セレモニーの様子。涙がとまらない。農協チームのホームコートにて

無論実力も十分だった。期待の星というだけでなく十分な仕事をやってのける。

団体戦の日本戦では日本のエース格だった笹倉・稲垣(稲垣は1979世界チャンピオン)になんと5−0の完勝、二次戦(当時の世界選手権は3組殲滅)では若梅・横江(横江は1981世界チャンピオン)に4−5で惜敗、と凄い活躍ぶり!!傑出した才能だったのだろう。

ただ、この大会ではそれ以上に台湾のカットそしてライジングからの速攻があまりに強烈なインパクトだったので、チャン・リーの初陣の活躍が霞んでしまった。

しかしこうやって今ふりかえってみると90年代の黄金時代を十分に予告する活躍ぶりだったとわかる….(個人戦は二回戦で神がかり的に絶好調だった呂・羅(準優勝 台湾 個人戦は台湾がベスト4独占)に0−5で完敗)。

以降開催された国際大会には1992年のアジア選手権(韓国国内予選敗退)をのぞきすべて出場(8回)。

2014アジア競技大会、同士討ちとなった女子ダブルス決勝後
2014アジア競技大会、同士討ちとなった女子ダブルス決勝後

単複のチャンピオンはすべて韓国・・・

彼以外に単複チャンピオンに輝いたのはバンジュンハン(2003)、キムジェボク(2007)の二人、いずれも韓国(そしてムンギョン)。バンジュンとジェボクは新ルール化での2冠。旧ルールでの二冠はチャンハンソクただ一人(キムキョンハンが単(1999)、混複(2003)で二冠を達成)

ここでの動画は2005の東アジア競技大会に監督としてチームを率いてときに選手に練習をつける様子をとらえた貴重な映像。現役を退いて10年めとはいえ、まだまだ30代半ば、今なら現役としてプレーしていてもおかしくない年齢だ。

確かこの時が代表初監督だったはずで、まだうら若い未完成なチームを率いて当時最強の日本(おそらく日本女子史上最強ではないか?玉泉、上嶋、渡辺、堀越、河野、濱中)に挑み、善戦、大いに大会を盛り上げ、翌年からの団体戦3年連続優勝の下地を作った。

これも2014アジア競技大会。団体戦予選ラウンドの日本戦において
これも2014アジア競技大会。団体戦予選ラウンドの日本戦において
    主な戦績

  • 1985世界選手権(名古屋 17歳) 国別対抗団体戦準優勝 ダブルス三回戦敗退(0-5呂・羅)
  • 1987世界選手権(ソウル 19歳) ダブルス三回戦敗退(2-5杉本・藤原
  • 1988アジア選手権(名古屋 20歳) 団体優勝 ダブルスベスト8(1-5神崎・小野寺)
  • 1990アジア競技大会(北京 公開競技 22歳) 団体3位 ダブルス準優勝(4-5上松・大橋)
  • 1991世界選手権(ソウル 23歳) 団体優勝 ダブルス優勝
  • 1994アジア競技大会(広島 26歳) 団体準優勝 ダブルス準優勝
  • 1995世界選手権(岐阜 27歳) 団体準優勝 シングルス優勝

1995年の団体決勝の5番勝負 北本・斎藤戦。この年の韓国はイスクウの引退、ユウヨンドンの不在で前衛力にやや遜色があり、ダブルスでは終始日本が優勢、この5番勝負もチャンにとって苦しいゲームが続いていた。しかし追い詰められてからの驚異的なパフォーマンスは会場を震撼させ、最終的に敗れたとはいえ、忘れがたい印象を残したのである。




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