日本ナショナルチーム新体制 覚書

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26日ナショナルチームの新体制が日本ソフトテニス連盟より発表された。

今年は大きな国際大会の無い年であり、ゆえにナショナルチーム、直訳すれば『国家代表隊』の存在意義が問われることになるが、それはさておき当面は、無論。開催まで2年を切ったアジア競技大会(インドネシア)にむけての強化が第一の目標であろう。

恩師以来の異例の女子監督就任 斎藤広宣氏

篠原、小林、中本、柴田といった日本を支えてきたというか支えている名手が招集されていないのも注目されるが、さらにスタッフが大きな異動があった。

2011年より6年間女子の指揮をとってきた田中弘監督が勇退。かわりになんと男子監督だった斎藤広宣氏(松戸市役所)が女子の監督となった。全日本チームで男子と女子の監督の両方両方に就任したのは斎藤氏の恩師にあたる先年亡くなられた斎藤孝弘氏(明治大監督)以来のことになる。

斎藤広宣氏は2007年から代表監督を務め、2007、2012、2013、2015、2016とチームを団体優勝に導いた。残念ならアジア競技大会での優勝はならなかったが、世界選手権での2度の団体優勝はその劇的な状況展開も相まって輝かしい実績(2007、2015)である。

2012年アジア選手権直前合宿(鹿児島)において女子前衛陣を指導する斎藤監督、
2012年アジア選手権直前合宿(鹿児島)において女子前衛陣を指導する斎藤監督、この時のレポートは画像をクリックするとみられます。

11年振りの新監督誕生 男子を率いるのは中堀氏に・・・

2010年広州アジア競技大会での中堀氏と斎藤氏。中堀氏が選手として出場した最後の国際大会。
2010年広州アジア競技大会での中堀氏と斎藤氏。中堀氏が選手として出場した最後の国際大会。

代わりに男子監督となったのはかねてから次期監督の呼び声高かった中堀成生氏(NTT西日本広島)。

男子コーチからの繰り上がり人事ということになる。選手としての代表歴は1993年から2010年に及び、現役引退以降もコーチとして代表チームに帯同、20数年間国際大会の現場にいることになる。まさに、国際大会のなんたるか、を知り尽くしているといえよう。

コーチ陣は最強日本をささえたサウスポーの名手二人...

川村氏最後の国際大会となった2007世界選手権より。彼が代表だった数年は嵐のような激動の期間。レベルも極め付けに高かった。
川村氏最後の国際大会となった2007世界選手権より。彼が代表だった数年は嵐のような激動の期間。レベルも極め付けに高かった。

男子コーチには2003年から2007年(除2005年)代表を務めたサウスポーの名手川村達郎氏(宇部興産)が初の入閣。

日本男子が近年で最高の成果を出したのは2006年アジア競技大会と2007世界選手権という2大タイトルを2年連続で団体優勝した時といえるとおもうがその時のメンバーである(両年とも予選一位で代表に)。とくにドーハアジア競技大会での団体戦におけるキム・ユウ戦の勝利は決定的な仕事。

2014中山盃国際大会(台湾台中市)での高川氏。
2014中山盃国際大会(台湾台中市)での高川氏。

女子コーチの高川経生氏(ヨネックス)のみ留任となる。

高川氏はアジア競技大会に1994、1998、2002、2006.2010と5大会連続出場を果たした。これは単独1位。2位は中堀氏の4大会連続。韓国、台湾まで広げてもユウヨンドン(韓国)、廖南凱(台湾)の4大会連続が最高となる。

現役引退は2011年、最後の国際大会は2010年のアジア競技大会、2012年より日本代表女子チームのコーチに就任。

左上から中堀男子監督、斎藤女子監督、川村男子コーチ、高川女子コーチ、
左上から中堀男子監督、斎藤女子監督、川村男子コーチ、高川女子コーチ、
全日本チームの全カテゴリーの選手、スタッフはこちらをクリック(日連サイト)
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