コラム ひとつの分岐点 2008 キョンハン最後の年、ドンフン最初の年  —-動画—スマッシュ 3強 競演!!各国違いがくっきり!

のべ12タイトルの及ぶ・・・

2008年アジア選手権(韓国 ムンギョン)の大会前日(10月27日)練習風景より。3強の入り乱れて、という編集は各国の特徴をあぶり出すため。その違いがくっきりしたと思う。あえて書かないが、どうか感じ取ってほしい。咀嚼してほしい。

2008年というのは過渡期、選手の入れ替わりの中間年といえるだろう。

新旧入り混じったバラエティ溢れる顔ぶれ。

この動画には12名(日本3、台湾4、韓国5)の選手が登場するが、うち10名が四大国際大会における個人戦メダリスト。

タイトル保持者は7名。

大会前日 最終調整に余念のない日本男子

タイトル数でいうと、のべ12タイトルにも及ぶ超豪華なラインナップだ(下記プロフィール参照)。

2003年からこの年2008年までの世界選手権(2003、2007)とアジア選手権(2004、2008)そして2005東アジア競技大会は各国代表が上限6人。個人戦ダブルスには3ペア出場することが出来た(開催国はプラス2)。

そこでは強者が飽和状態なり、ものすごい熱量が発散された。つまり、めちゃくちゃに、おもしろかった。興奮した、堪能できたのである。

だれもがそう感じたであろうにと考えていたが、そうではなかったのか2011年の世界選手権では各国2ペアに制限されてしまった(3強独占に嫌気、普及を阻害という短絡思考が真相だろう)。

2012年のアジア選手権でもそれを踏襲。2015、2016も同じ、熱気が半分以下におちてしまった感もある。

残念だ。あの熱量は財産だとおもうのだが・・・

右画像 開会式に集まった大観衆の前でミックスダブルスのエキシビジョンが行われ、テレビ中継もされた。プレーヤーは菅野・平田 vs .イゾンウ・イキョンピョ。平田とキョンピョはダブルス決勝で、ゾンウと菅野は団体決勝でそれぞれ再戦することになる。

2008アジア選手権個人戦での中堀・高川、三回戦あたりか?。そこで林鼎鈞・林士淳の猛烈なアタックを受けるが5−3で躱し、準々決勝はキムドンフン・キムキョンハン戦、先の全く見えない大接戦(5−4)、続く準決は楊・李を破ったイゾンウ・キムテジョン。ここはイゾンウの力みか空回りで楽勝(5−2)、と韓国Aチームを連破し。2001年の東アジア競技大会で優勝して以来7年ぶり3度目の国際大会決勝進出を果たすのだが・・・団体戦をふくめてこの中堀・高川は完全アウエーのクレーコートで韓国レギュラーを3タテはさすがというしかない。前年の団体決勝のキムジェボク・キムーヒースー戦の勝利から、2010アジア競技大会個人戦準決勝でペファンソン・キムテジョンに敗れるまで韓国Aチームに5連勝したことになる。1993年に始まる国際大会でのキャリアで団体優勝は1995、2000、2001、2006、2007と5回。

キョンハン最後の年、ドンフン最初の年・・・

最年長はキムキョンハンで35歳。彼にとって最後の国際大会(現役は2010年まで)であると同時に韓国3トップの最後を飾った。

最年少は柴田章平で当時大学一年。ちなみに2019年現在、第一線でプレーしているのは柴田だけ。

韓国選手が多いのは開催国ワイルドカードで出場している選手がいるため(ウヒョンコンとヤンチンハン)。

大会は開催国韓国が圧勝、とくに男子は3種目、ミックスをふくめて4種目完全優勝。キムキョンハンの最後であると同時にキムドンフンの登場の年でもある。

キムドンフンとキムキョンハン。今にして思えば夢のようなペアリング。個人戦ダブルスで実現した。中堀・高川との準々決勝は大会の白眉。凄絶に敗れた。

死んだ振り?台湾、しかし2年後・・・・

各国、この練習に参加しているのはネットプレイヤーつまり前衛なのだが、台湾のみ林鼎鈞、楊勝發という本来ベースラインが基本、つまりいわゆる後衛が参加していること。さすが台湾といったところか。

但し元来アジア選手権へのモチベーションが低い台湾の成績そのものは振るわず、楊勝發がシングルスで世界チャンピオンのキムジェボクを破ったのが目立つくらいで他は全く低調だったのだが...

ジェボク戦での楊勝發。韓国勢に2連勝してベスト4。今大会台湾勢唯一の個人メダル獲得
開会式の台湾男子

しかし次の国際大会である2年後の広州アジア競技大会において台湾男子はダブルス(楊勝發・李佳鴻)、団体で金メダルを獲得し、メダルトータルで一位、2006ドーハ大会に続く2大会連続、3度目の男子総合一位を達成する(1998、2006、2010)。3度の総合一位は2010年の段階で最多。その後2014インチョン、2018パレンバンと韓国が連勝して通算4回と逆転。日本はまだ総合一位がない。

2008年はすでにダブルフォワード時代の幕は開いていたのだが、ハードコート上限定であった。この2008年アジア選手権は雁行陣主体で争われた今のところ最後の国際大会である(篠原・小林はペアとしてはこの大会が国際大会初登場、国内では過激なダブルフォワードを敢行し旋風を巻き起こしていた彼らでさえ雁行陣中心。二回戦で優勝したイヒョンス・ヤンチンハンに敗れた)。

この3年後、同じムンギョンのコートつまりクレーコートで開催された世界選手権は基本ダブルフォワードの戦いとなった。

個人戦での楊・李。菅野・柴田を下し(5−3)、準々決勝に進出したが、そこでイゾンウ・キムテジョン(3−5)に敗れた。団体戦では組まず。

韓国

キムキョンハン(タルソン)

1999世界選手権シングルス優勝
2002アジア競技大会シングルス優勝
2003世界選手権ダブルス三位
2003世界選手権ミックスダブルス優勝
2008アジア選手権ミックスダブルス優勝

キムテジョン(イチョン)

2008アジア選手権ミックス準優勝
2008アジア選手権ダブルス三位
2010アジア競技大会ダブルス銀メダル
2010アジア競技大会ミックスダブルス銀メダル
2011世界選手権ミックスダブルス優勝
2011世界選手権ダブルス三位

ヤンチンハン(ソウル)

2008アジア選手権ダブルス優勝

ソミンキュ(スンチョン)

2008アジア選手権ダブルス三位
2008アジア選手権ミックスダブルス三位

ウヒョンコン(スンチョン)

2008アジア選手権ミックスダブルス三位

台湾

楊勝發(台北体院)

2003世界選手権ダブルス三位
2005東アジア競技大会ダブルス準優勝
2006アジア競技大会ダブルス金メダル
2008アジア選手権シングルス三位
2010アジア競技大会ダブルス金メダル
2010アジア競技大会シングルス銅メダル
2013東アジア競技大会ダブルス三位

李佳鴻(台北体院)

2004アジア選手権ダブルス三位
2004アジア選手権ミックスダブルス三位
2005東アジア競技大会ダブルス準優勝
2006アジア競技大会ダブルス金メダル
2010アジア競技大会ダブルス金メダル
2010アジア競技大会ミックスダブルス銀メダル
2014アジア競技大会ダブルス銀メダル

林鼎鈞(台北体院)

2014アジア競技大会ダブルス銀メダル

蘇家蜂(台北体院)

日本

高川経生(NTT西日本広島)

1999世界選手権ダブルス準優勝
2000アジア選手権ダブルス三位
2001東アジア競技大会ダブルス優勝
2004アジア選手権シングルス準優勝
2004アジア選手権ミックスダブルス三位
2005東アジア競技大会ダブルス三位
2006アジア競技大会ダブルス三位
2006アジア競技大会ミックスダブルス三位
2007世界選手権ダブルス三位
2007世界選手権ミックスダブルス三位
2008アジア選手権ダブルス準優勝
2010アジア競技大会ダブルス銅メダル

小林幸司(ミズノ)

2010アジア競技大会ダブルス銅メダル
2011世界選手権ダブルス準優勝
2013東アジア競技大会ダブルス優勝
2016アジア選手権ダブルス三位

柴田章平(同志社)


所属は当時、成績は2019年現在







こちらの記事もどうぞ(関連記事)

コメントをどうぞ

comments

Powered by Facebook Comments