とんでもないミスリードをしてしまったことを我々は自覚せねばらならない。パレンバン ダブルスロスの真実・・・予想されるさらに深刻な事態・・・

本来、この項は大会のプレヴューとして書き始めたが、プレヴューとしては、ネガティブな内容ゆえにお蔵入りとなったものに、新たに取材した内容まじえて修正加筆した。27日発売の『ソフトテニスマガジン11月号』に掲載の拙文–看板種目を自らは外す喪失感–と併せて読んでいただければ幸いである。

原因ははっきりしている・・・

2018アジア競技大会ジャカルタ/パレンバンから一ヶ月が過ぎようとしている。

従来なら大会開始数週間前から興奮を抑えられなくなってくるのだが、今回は一向にそうならなかった。

始まってしまえば、それなりにテンションもあがったが、終わってみれば、矢張り、どうにも不完全燃焼である。こんなことはことアジア競技大会ではついぞなかった。

原因はハッキリしている。

ダブルスがオミットされたからである。

何をけずるべきだったか・・・

なぜこのようなことになったのか?

直接の要因は2020TOKYOオリンピックである。

東京オリンピックにはNEWスポーツといっていい新種目がいくつも入る。いままでアジア競技大会に入ってなかった競技もある。

なんでそれらが一足飛びにオリンピックに?という疑問は深く追求(この世界とてもスポーツマンの所業とは思えない理不尽が山のようにある)されるべきだが、それはさておき、それらを急遽、アジア競技大会の正式種目として導入し、東京オリンピックのリハーサルとして行うのだ。そこで既存の競技に縮小の打診(というか指示)がきた。

超満員のバドミントン会場(ジャカルタ)。番組作りの上手さはおおいに参考にすべきだとおもう。

だから硬式テニスも種目を減らしている(インドネシアで人気のバドミントンやセパタクローは縮小されない。この両競技の競技日程の長〜いこと!!)。

さて硬式はいったい何を減らしたか?

団体戦である。実にまっとうだと思う。

実はソフトテニスはミックスを削ろうとした。しかしそれでは足らない、ということになったらしい。だったらシングルス(とミックス)を削るべきだった(1998年以前は団体戦とダブルスのみ。2002年大会よりミックスとシングルスが加わるという歴史的経緯もある)。

2010アジア競技大会(広州)男子ダブルス準決勝終了直後、手前 篠原・小林、向こう側 楊勝發・李佳鴻。劇的なゲーム、ながらく記憶に残るだろう。

確かな『何か』を創造・・・

ソフトテニスはラケットスポーツの中で唯一ダブルスがメインの競技だ。

その浅からぬ歴史のなかで先達はダブルスに独創性(オリジナリティ)を見出した。そこに硬式テニスの代用ではない、確かな『何か』を創造してきたのである。

誤解を恐れずに極論すれば、だからこそなんどかあった世界のテニスとの同期のタイミングで生き延びてきた?我々は歴史のなかで意識的に『軟式』を選択してきたはずである。

そこ(オリジナリティ)を見失ってはほんとうにただのエピーゴーネンに堕する。

むろんそんなことはわかりきっていたはずで、シングルスを残したのは開催国インドネシアのソフトテニス事情に配慮したとの話もある。

それもまた理解できるのだが・・・。

 

だったら硬式テニスのように団体戦をけずればよかったのだ。

自覚・・・

あるいは個人戦をすべてけずり団体戦だけにすればよかったのだ(余談だが、この競技、団体戦に拘泥する人が多い。これはある種の未熟さ、悪い意味でのアマチュアリズムだと思うのだが)。

とにかく、ダブルスのみをけずるのは最悪の選択である。一番削ってはいけないものを削ってしまったのだ。ソフトテニスの命を削ったのだ。当然だが命は掛け替えがない。それだけの価値がこのアジア競技大会に、本当に、あったのか?いや違った。命までも捧げた自覚が我々にあるのか?

2018アジア競技大会男子シングルス決勝風景。公平にいって非常なハイレベルであったことは間違いない。

加速するシングルス重視・・・2018年は『終わりの終わり』の始まりか?

韓国のあるメディアは『ソフトテニスはダブルスを廃止した』と報じた。

これは誤解だが、間違ったイメージを大々的に発信したことは間違いない。

とんでもないミスリードをしてしまったことを我々は自覚せねばらならない。

2014アジア競技大会男子ダブルス決勝 林鼎鈞・李佳鴻vsキムドンフン・キムボムジュン。このインチョン大会でもメインは間違いなく男子ダブルス。
ソフトテニスマガジン2018年11月号に管理者によるアジア五輪レポート『看板種目を自ら外す喪失感』が掲載されています。

海外はともかく、日本国内にも・・・『これからはシングルスだ』・・・なんてしたり顔でいうひとは今でもいる。
つまり今回のことが無くても、シングルス重視はとまらないだろう。

それがさらに加速するのだ。それでソフトテニスがほんとうに生き残っていけるのかどうかは関係ない。

それは我々がそして多くの先達が愛したものとはまるで違ってしまっていることは間違いない。

3強以外の新興国(モンゴルは別にして)のプレーヤーは硬式キャリアが大半である。彼らの価値観がシングルスメインであることを責められない。しかし彼らに媚びてダブルスを虐待してしまった今回の有り様は本末転倒も甚だしいといえよう。

ソフトテニスがシングルスを本格導入したのは1992年(第2回アジア選手権、奇しくもインドネシア(ジャカルタ)開催)、ここが『終わりの始まり』だとすると、今年2018年は『終わりの終わりの始まり』になるか?(現在の状態はまるでリドリースコットの名作『エイリアン』における地球外生命体に寄生された人間のようだ)

第13回アジア競技バンコク大会2008男子個人戦準決勝 廖南凱・葉育銘(台湾)vs.チョンインスー・ユウヨンドン(韓国)より、ファイナルの死闘を終えて。究極のダブルスといえる凄まじさ。4人の天才が集ったもう二度とみることないであろう空前絶後のハイレベル。バンコク大会は男女団体戦、男女ダブルスの計4種目。団体戦は3ダブルス2シングルス(一人二回まで出場できる)。会期は今回とおなじ5日間。団体戦に3日、個人戦に2日とゆったり進んだ。ここに立ち帰ればよかったのだ。ちなみに当初、個人戦はシングルスで、と組織委員会から打診されたがソフトテニス側はそれを拒否したという経緯がある。正式競技入り事態が困難だったなかで、だ。

予想されるさらに深刻な事態・・・

今回のアジア競技大会に中国男子がエントリーしなかった。公開競技だった1990年の北京大会を含めて、初めてこのことである。理由は簡単。メダルが獲れないということで国(中国オリンピック委員会)が派遣を許可しなかったのである。

中国男子の、かつてないほどの、弱体化はまぎれもない事実だが、前回大会の団体ではインドネシアに辛勝し銅メダルを獲得しており、ここに来てなぜ、と唖然とした。というのもこれは極めて深刻な事態なのである。

団体戦銅メダルの中国女子。これで3大会連続の銅。中国女子はシングルスでも銅だが、冯子轩(右から2番目)の故障がなければさらに上が狙えた。ツキがないとおもう。中国が、ではない。ソフトテニスが。だ。(冯子轩はシングルスのエース(アジア選手権、コリアカップ準優勝)だが、今回は足の怪我のため団体のみの出場)

2022年には第19回アジア競技大会つまり次回大会が中国杭州で開催される。今回、顕になったのは中国軟網(中国软式网球协会)の国内におけるプレゼンスの無さであり、それは競技としての大会参加に(限りなく赤に近い)黄信号が灯ったことを意味する(それにしても、意外に知られてい無いが、アジア競技大会への参加は毎回困難の連続である)。

また例え参加が成ったとしても、2014年以前のような全種目となるとほとんど絶望的に思える。2022年にはさらにニュースポーツ(今回公開種目だったeスポーツ等。eスポーツは2024年のパリオリンピックより正式種目入りすると噂されている)が加わることは必至。再びソフトテニスは種目の選択を迫られることになるだろう。当然、その主権は中国が握る。中国は現在まで7種目中5種目でメダルを獲得している(金1 銀2 銅5)。メダルを獲得していない2種目とはなにか?男子ダブルスと女子ダブルスである。果たしてそんな種目を中国が選択するだろうか?

2014年の決断は確実に将来に禍根を残したのである。

2010アジア競技大会(広州)でキムキョンリョン(右)、キムエーギョンを連破して金メダルを獲得したツァオレイ。アジア競技大会で中国が獲得した唯一の金メダル。中国の全盛は1995〜1998年で1995年世界選手権女子シングルスで優勝、1997年東アジア競技大会では団体戦で男女とも日本を破って銅メダルを獲得。2010年は2度目のピークといえたが男子はすでにかなり弱体化しており東南アジア勢やモンゴルに破れることがしばしば起きるようになった。

パレンバン大会の大団円。日本にとって最高の結末だったが、浮かれているわけにはいかない。宗主国としてダブルスの復活になにができるか?

最後に書いたことは予想しうる最悪の事態だ。杞憂に終わることを切に願う・・・







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