ぺファンソン 誰にも似ていない強烈な個性!!  アジアカップ2019より。

ぺファンソン(배환성)


今回のアジアカップ、なぜか彼のことを前衛だと思っている人が多くて驚く。彼は、基本的に、(オールラウンドな)ベースライナーである。
驚くというのは彼のことを知らない人がいる、というその事実に、だ。


というのも彼は今世紀に入って登場した選手では最良、最強の一人なのである。たしかに来日は少ない。20歳のころに学生王座にきたことがあるぐらいだろうか。

全盛期は2010、2011。

この時期のドンフンはまさに飛ぶ鳥落とす勢い、昇竜期にあたるが、代表選抜ダブルスだけは勝てなかった(いうまでもなく韓国でもっともシリアスなトーナメントだ)。

ドンフンがダブルスを、初めて、突破したのは2013年のことである(何度も書くが韓国は(台湾も)常にダブルス予選が優先されている)。

このペが壁となったのである(2010、2011。2012年はチヨンミンに敗れた)。

2010アジア競技大会韓国代表選抜第一代表決定戦を終えて。右が優勝したペファンソン・キムテジョン。左がキムドンフン・キムボムジュン。ドンフン・ボムジュンはこのあとテニスを崩し、第二代表戦、シングルス代表戦とも敗退し広州アジア競技大会出場ならず。

2011世界選手権韓国代表選抜第一代表戦でのペファンソン。この年は出足悪く第一代表戦は早々に敗退。第二代表戦でキムドンフン・キムジュゴンに競り勝ち代表に。

惜しむらくは2010年アジア競技大会でダブルス、シングルスともに銀メダルにおわり、これほどの選手が、全盛期(2012〜)に兵役による中断を余儀なくされたこと。ソフトテニス界全体の不運、不幸だとすらおもう。除隊後あっというまに第一線に復帰したのはさすがだが・・・

現在34歳。除隊後はややウエイトオーヴァー気味の時期もあったがさすがにしぼってきた。

国際大会でもう一花さかせることができるか?

とにかくめちゃくちゃな上手さ柔らかさ。誰にも似ていない強烈な個性!!

2005東アジア競技大会マカオでのペファンソン

国際大会初登場はまだ学生だった2005東アジア競技大会。団体戦ではキムヒースーと組み王俊彦・方同賢と死闘。2010年アジア競技大会では個人戦ダブルスで林鼎鈞・劉家綸、中堀・高川をともに5−0で完封して決勝へ。楊勝發・李佳鴻に敗れた。

2010アジア競技大会シングルスでのぺ






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