ソフトテニスがアジア競技大会に正式種目として採用されたのは1994年の第12回大会よりのこと。その当初より団体戦においてシングルスが導入されている。種目は男子団体、女子団体、男子ダブルス、女子ダブルスの4種目で、個人戦はダブルスのみであった。この形は1998年の第13回大会でも踏襲される。個人戦にシングルスが採用されたのは2002年の第14回大会からである。以降2002、2006、2010と継承され、定着した感がある。
日本は単独4位、という屈辱的なポジション
韓国、中国、台湾が金メダル数で同数。日本は単独4位、という屈辱的なポジション。個人戦シングルスでは現在まで3大会連続、計10個のメダルが争われた。うち日本が手にしたのはドーハ大会で辻美和が獲得した銅メダル一個だけである。
特筆すべきは中国で、3大会連続でメダルを獲得し、総合で堂々の2位となったことだ。2011世界選手権.2012アジア選手権におけるアンフェアなドローは全く愚かしい。
2002釜山大会
世界チャンピオンのワンスーチン、アジアチャンピオンのパクヨンヒ、そして前年の東アジア競技大会金メダルの水上志乃とその時点での四大国際大会タイトルホルダーが全てそろった統一王座決定戦となったが、結果は韓国のワンツーフィニッシュ。この時期韓国のシングルス優位はほぼ無くなっていたが、韓国ボール、クレーコートというアドバンテージを生かし切った。パクヨンヒは2000年のアジア選手権に次ぐシングルスタイトル獲得となった。
2006ドーハ大会
江婉埼の優勝に(台湾人も含めた)誰もがあっといった。江婉埼は4年後の広州大会でも銅メダルを獲得しているので史上NO.1ということになる。前回完勝の韓国が表彰台にあがれないという意外な結果。シングルスにエントリーしたのはキムチウン、キムキョンリョンというシングルス巧者、強者が出場しているのにだ。二位のジャンティンは前年の東アジア五輪チャンピオンの玉泉を破っての堂々の上位進出。
2006広州大会
チャオレイは2006年のドーハ大会団体戦でキョンリョンを破ったことで注目をあびた。そのキョンリョンとの準決勝、史上に残るハイレベルな争いとなる。リードしたチャオレイを猛迫するキョンリョン。しかし疑惑の判定が連続し、チャオレイが逃げ切る。キョンリョンは挨拶を拒否、コート上にラケットを置いたまま退場。後味の悪い幕切れとなった。
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