台湾代表 劉家綸 最年少ファイナリストにして無冠の帝王ーーー特集 伝説を見逃すな!来日した海外の巨星たち!

1999年のシングルスは旧ルールの最高峰!

1999年の台湾林口での世界選手権が初代表だった。

開催国代表ということになるが開催国枠ではなくて堂々のA代表である。むろん抜擢ではない。シングルス予選を勝ち抜いての自力出場である。

当時の台湾は今とは比較にならないほどレベルが高いので予選突破は大変な事である。

だから当然なのかもしれないが、本番の世界選手権では最高の仕事をした。団体戦2番シングルスをまかされ、準決勝ー日本、決勝ー韓国戦と2連勝、特に決勝のキムキョンハン戦は、何度も触れてきたが、決定的な仕事でおそらくは彼のキャリアのなかで2010年のアジア競技大会決勝での中堀・高川戦を凌駕する頂点かもしれない。

ゲーム自体も旧ルールシングルスの最高峰であり、おそらくはベスト。

個人戦シングルスでも決勝に進出し、銀メダル。団体戦での活躍が本物であることを証明してみせた。これが世界選手権個人戦における男子ファイナリストの最年少記録になる。いや四大国際大会における最年少記録である(女子では鄭竹玲の2010アジア競技大会ミックス銀メダルが最年少)。

2014年中山盃での劉家綸
2014年中山盃での劉家綸

その後怪我に悩まされながらも何度もカムバックし、圧倒的な存在感を示して来た(特に2004チェンマイ、2010広州)。

残念ながら個人タイトルには恵まれず、その最初の世界選手権以降では2003年の東アジア競技大会ダブルスの銀メダルが最高。無冠の帝王である。







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