スーチーショック!!転向後一年未満で世界タイトル奪取、それが示唆するものとは?

一年弱でタイトル奪取・・・

第16回世界ソフトテニス選手権(中国浙江省台州市)女子シングルスにおいて衝撃の優勝を果たした謝思琪–シェ・スーチー–。中国西南部の四川省成都出身の22歳。成都体育大学の学生。

9歳でテニス(その前は水泳をやっていたとのこと)を始め、ジュニア時代には全国ユースランキング戦2位の実績がある。

硬式プレーヤーが世界選手権に優勝するのは三度目、新ルール化では初めてだが、2010アジア競技大会では趙蕾(ヂァオレイ)が優勝しており、それ以来二度め。

国際大会において硬式キャリアがシングルスで活躍するのはそう珍しいことでもないのはよく知られていると思う。男子でもデヴィスカップ代表経験者等がしばしばドローを賑わしてきた。2004年にバンジュンハンを破ったエディがその筆頭だろうか?2007年アジア選手権でのエルバートのようにタイトルにあと一歩まで迫った選手もいる。しかしタイトル奪取までは男子では、まだ、無い。

ところが女子では楽々(?)その壁を突破されてしまうのはどういうことなのだろう。

いや今回の問題はそこではない。非常なショックだったのは彼女がソフトテニスに取り組みだして一年弱でタイトルを獲ったということだ。すべての頂点たる世界チャンピオンになったということだ、

趙蕾だって同じだ、という人がいたが、確かに彼女も転向後すぐに活躍(2006ドーハアジア競技大会でキョンリョンを破った衝撃はいまでも鮮明)したがタイトル奪取は4年後である。

2006アジア競技大会での趙蕾。初日、団体戦でキムキョンリョンをファイナルで破った時は会場に衝撃が走った。当時まだ高校生(16歳?)である。個人戦では準々決勝で優勝した江婉綺に敗れ、5、6位決定戦(アジア五輪では2006大会まで順位決定戦があった。2010
2014,2018と順位戦は行われいないが、残念なことだ)で玉泉に敗れて6位。4年後の2010アジア競技大会(広州)で準決でキョンリョン、決勝でエーギョンを破り金メダル獲得。

昨年までITFサーキットに参加

謝思琪は昨年の8月までは中国国内で開催されたITFのプロサーキット(WTA登竜門的最下層トーナメント)に参戦している。

但し本戦ではなくていずれもクオリファイラウンド(予選)からのスタート。

南京と瀘州の2大会で本戦に勝ち上がったが、いずれも一回戦で敗退。

瀘州のトーナメントは賞金総額25000ドルで予選あがりの謝は一回戦で第一シードモニカ・ハン(韓馨蘊)と対戦1-6、1-6で敗れている(モニカ・ハンはツアープロとしてそれなりに知られた選手で今年29歳、キャリアハイランキングはWTA105位、現在は150〜200位前後の選手だ)。

謝思琪自身にはにWTAランキングはついておらず、ITFランキング799位を記録している。

王思婷の場合

1999年の世界選手権に優勝したワンスーチン(SHI TING WANG王思婷)は転向後10ヶ月足らずで世界チャンピオンになったが、彼女はWTA最高26位(当時のアジア人最高位)WTAツアー6勝(しかも転向直前までWTAグランプリツアーを転戦していた)のトンデモない大物だった。
それでも我々は侮辱されたような惨めさを味わった。打ちのめされた。(ちなみにワンは前年1998年アジア競技大会(バンコク)において台湾がテニス団体で金メダルを獲得したときの立役者でもある。彼女は2002年アジア競技大会(釜山)ではソフトテニスに出場し、銅メダル。つまり硬軟のメダイリストという偉業を達成)

1999世界選手権での王思婷。団体戦でのダブルスを含めて全勝。1999年大会は彼女の大会だったと言ってよい。

疑問

ただ今回の場合、ドローをみれば、このトーナメントが世界一を決めるのに本当にふさわしいのか、という根源的な疑問にすぐ突き当る。エントリーした選手もそうだし番組もだ。競技が大きく成長する過程で咲いた徒花と考えて甘受すべきことなのだろうか?







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