レガシーコラム『母国へ金ならず』SHI-TING WANG Shock!!part5 朝日新聞編

 

2002年10月10日付朝日新聞全国版

ワンスーチンの登場は衝撃だった。1999年の世界選手権のことである。全勝(団体、シングルス二冠)で大会を終え、あっという間に我々の前から姿を消す。

復帰は3年後。釜山で開催されたアジア競技大会のことだった。

以下の記事とその紹介文はその時のものである。我々にとっては1999年の登場のほうがずうっと衝撃的だが、そのことが日本の一般メディアにでた記憶はない(無論、台湾本国では大々的に取り上げられているが・・・>(余談だがこの記事に中で台湾を『中華台北』と書いていないのは見識が高いとおもう。中華台北という表記はいわゆるIOC方式でオリンピックに参加するための方便。他では何の意味もないからだ。)

SHI-TING WANG Shock!!part5 朝日新聞編

Shi-Ting WANGは選手村に入らず、コーチの父とともに会場近くのホテルに宿泊し、万全の体制だった。そのホテルは我々の宿舎のすぐそばで大会期間中、よくすれ違い挨拶をかわしたものだ。

技術に衰えはなかったが、韓国ボールに苦しみ、また現役のプロだった4年前にくらべて、表情も物腰も随分やわらかくなり、厳しさが失われた気もした。

台湾メディアの彼女への期待はもの凄く、テレビレポーター(もちろんテレビカメラも)が会場につめっきりだったし、報道カメラマンも何人もいた。左記事にもあるとおり、プレッシャーも凄かったのだろう。

王(WANG)についてはまた書く思う。

それにしてもこの記事にはびっくりした。話題性があるということは大切なことだと思う。

1999世界選手権でのワンスーチン
1999世界選手権でのワンスーチン

去り行く女王(それぞれの釜山より) ワンスーチン関連記事

彼女の名前はWANG,Shi-Tingという.しかしこの名前は,プロ・テニス・プレーヤーとしてのツアー名であると聞いた.最高でWTAランキング26位を記録(1993.11)し,アジアを代表する選手として世界で名の知られた選手であった. しかし,ソフトテニスファンにとっては,‘99年に台湾で開かれたソフトテニス世界大会での彼女の活躍で知られているであろう.
その活躍はあまりにもショッキングであった. そして,そのショッキングという言葉は,日本のソフトテニス関係者にとっては二つの意味を持っていたはずであった・・・・

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