『プレーの幅をせまくしないように・・・』9.24朝日朝刊
2002年前前々回アジア競技大会関連の記事。掲載当時(9月24日朝日新聞朝刊)に一度紹介している。残念ながら、純粋に競技スポーツとしてのソフトテニスについて言及したコラムがメジャー新聞に掲載されることなどアジア競技大会以外では考えられない。全く不当だとおもうがそれが今だに現実だ。
もっとも注目された選手
記事中にもあるが水上選手は2001年の東アジア競技大会で完全優勝三冠を獲得した日本のエース。
1998年バンコク大会にも出場し、2大会連続のアジア競技大会代表である。
釜山大会にエントリーした四大国際大会のタイトルホルダーは台湾のワンスーチン(1999世界選手権シングルス)、韓国のパクヨンヒ(2000アジア選手権シングルス)、そして日本の水上・八谷(東アジアシングルス、ダブルス)の4人。直近(2001)のチャンピオンしかも単複二冠だった水上は釜山大会女子でもっとも注目された選手だったわけである。
個人戦で日本唯一の銀メダルを獲得

2002アジア競技大会釜山大会は開催国韓国がその利(5年振りのクレー、韓国ボール)を存分に生かし7種目完全優勝、個人戦では5種目中3種目にワンツーフィニッシュと大勝した。
そんな中で水上・八谷はダブルス準決勝で韓国のエースであるパクヨンヒ・キムミョンヒを5−3で撃破、決勝に進出した(パク・キムは翌年世界選手権ダブルスで優勝)。
決勝ではキムスイウン・チャンミーハにやぶれたものの銀メダルを獲得、この銀メダルが釜山大会の個人戦で日本が男女を通じて獲得した唯一の銀メダルとなったのである(国別対抗団体戦は男女とも銀メダル)。
たった1人で・・・

また団体戦における台湾戦(日本3-2台湾 当時の団体戦は3ダブルス2シングルスの5対戦[D.S.D.S.D]。日本vs.台湾は最終戦までで縺れている)ではワンスーチンとのチャンピオン戦に勝ち、ワンのソフトテニスおける連勝にストップをかけた(ワンは1999世界選手権で単複全勝だった。ワンがソフトテニスのトーナメントに出場したのはその世界選手権と釜山アジア五輪の2大会のみ)。シングルス予選ラウンドでは4年後(アジア五輪ドーハ大会)にチャンピオンとなる江婉埼(台湾)と同組、水上が快勝している。
今年の仁川大会(4大会連続出場)にも出場する江婉埼のアジア五輪いや国際大会デヴュー戦であった。
当時私は彼女の活躍を『たった1人で日本を支えている』と書いた。



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