他の個人戦と同様に各国のエントリー上限は2。つまり3大会のトータルで各国6人出場したことになる。韓国はここでも6人中5人がメダルを獲得と圧倒。2002、2010年大会ではワンツーフィニッシュを果たしている。
日本はここでもトータル3位と遅れをとっているが、例えば2006年大会団体戦のおいて篠原は全勝(翌年の世界選手権も)するなど、互角に近い成績を残しており、個人戦でのこれほどまでの不振が不思議である。昨年の第6回東アジア競技大会(天津)で長江光一(NTT西日本広島)が四大国際大会史上はじめて日本にシングルス個人タイトルをもたらした。箍が外れたのか?否か?
この大会を最後に独自性を失った・・・2002釜山大会
個人戦に初めてシングルスが採用されたが、同時に旧ルール最後のシングルス大会となった。この大会を最後にソフトテニスのシングルスは独自性を一切失い、テニスの亜流に堕した。というと厳しすぎるか?暴言が過ぎるか?しかしそれが偽らざる本音である。
旧ルール最後の大会がこのアジア競技大会となったのは感慨深い。キョンハン、ヒースーの空中戦の凄まじさは筆舌尽くし難く、まるで逝く夏を惜しむ花火のように華麗に一時代の終わりを飾った。
旧ルールシングルスを牽引したのは間違いなく韓国であり、さらに踏み込んだこというなら、この旧ルールシングルスの追求が3トップを生んだ節さえある。
実はこの2002年は韓国ボール最後の年でもあるのだが、3トップ以降の韓国前衛の小型化、劣化はその2つのファクターと無縁ではないようにおもうのである。
2006ドーハ大会
常勝だった韓国が国際大会での王座を明け渡したのが2004年のアジア選手権(チェンマイ)。このドーハ大会も決勝進出すらならず、新ルール下で1勝3敗となる。
台湾の王俊彦は前年の東アジア競技大会(マカオ)に続く2年連続のタイトル獲得。ハードコートでの台湾の強さをいっそう印象づける。
団体戦では、その王俊彦を破り日本の初優勝に大きく貢献した篠原は個人戦でも快進撃を続け、決勝に。ここでは返り討ちにあったが善戦、金メダルまで後一歩だった。韓国は団体個人ともに存在感なし。
2010広州大会
2大会振り2度目の韓国ワンツーフィニッシュ、ハードコートでのシングルス優勝は1999年年の世界選手権(台湾林口)以来、新ルール下では初優勝ということになった。
優勝したイヨハンは国際大会初出場の全くの新人、当時テグカソリック大学の学生である。
同じ大学のキムドンフンが直近の国際大会である2008アジア選手権でシングルスに優勝しており、2大会連続でテグカソリック大学がシングルスタイトルを獲得したことになる。
さらにその前年2007年世界選手権に優勝したキムジェボクも同大の卒業生であった。
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