2004年第五回アジア選手権での王俊彦・趙士城(台湾)。
歴史を語るときその名を抜きにすることなど決してできない・・・
ソフトテニス史上、もっとも重要なペアの一組である。ダブルフォワードの最初の成功者、いやあえていうが、中興の祖(これに関してはおいおい語ることもあろう)。その功績は、もっとも控えめに言って、戦略論を論じるとき、その名前を抜きに語ることなど決してできない、というほどのものである。彼らの出現と成功がソフトテニスを再定義し、以降、今日までその検証、証明が続いている。解はまだ明らかになっていない。それが現在の世界のソフトテニスの現状である。
たった四年間・・・
王俊彦が表舞台にいたのは2003〜2006年 たった4年間!!四大国際大会に一度づつのワンクールである。ダブルスに限定すれば2006年は団体個人ともにシングルスのみだったので、たった3年!!。趙にいたっては2003、2004の2年間にすぎない。しかしその出現のインパクトはあまりに強烈だった。
(王はその間にダブルスで一度(2005)、シングルスで2度(2005、2006)、団体戦に3度優勝(2003、2004、2005)し、趙とのペアでは2度の団体優勝とこの2004アジア選手権の準優勝がある)
パラダイムシフト
韓国戦は2003年に個人戦でキムベプヒョン・バンジュンハン、団体戦でキムベプヒョン・キムキョンハンと対戦しクレーだった最初の対戦に敗れ、ハードだった後者の対戦に快勝した。この試合でソフトテニスの軸がグラつく。
そして2004年にはファンジョンハン・キムヒースーに決勝の3番勝負で競り勝ち、パラダイムシフトが決定的になる。その後の流れを完全に変えてしまう。個人戦決勝ではキムジェボク・パクチャンソクに敗れるが、このペアは鏡に映してみるような相似形で王・趙の再定義を却って強力に裏付けるものでしかなかったのである。
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