異形のフォアハンド キムジェボク 8年ぶりの代表復帰へ 

第八回アジア選手権代表の技術 『2007世界選手権 単複二冠王 キムジュボクのフォアハンド』 KIM Jae-Bok(KOR) Fore Hand

ことグラウンドストロークのフォアハンドは個性が出やすいが、頂点を極めた国際タイトルホルダーにそれがより顕著なのは不思議な暗合だ。


謝順風(1999世界選手権ダブルス)、キムベプヒョン(2003世界選手権ダブルス)、楊勝發(2006、2010アジア競技大会ダブルス)、イヒョンス(2008アジア選手権ダブルス)、菅野(2011世界選手権ダブルス)、北本(1995世界選手権ダブルス、1996アジア選手権ダブルス)、沖田(1983世界選手権ダブルス)、そしてこのジェボク、それぞれ恐ろしく個性的である。なかでもこのジェボクは最右翼といっていい異形さである。まずその握りが訳がわらかない。ここでのプレーは2013年のものでかなり角がとれてわかりやすくなっているが、2007年前後はもっとエキセントリックであった。角がとれたことで本質が明らかになってきたのであるが、わかったところで2007年頃の訳の分からなさの理由づけはできない、いったいあれはなんだったのか?

2007世界選手権でのキムジェボク単複個人完全優勝
2007世界選手権でのキムジェボク単複個人完全優勝


明らかになった握りはセミウエスタン、しかしオーソドックスなものではなくて、人差し指の支えが弱い自由度の高いグリップであるようだ。キムベップヒョン(2003年世界チャンピオン)も似たような握り(ベップヒョンはさらにイースタン寄り)だったが打ち方はまるで違う。あまりに違う。

8年ぶりの代表復帰

2008アジア選手権でのジェボク。前年の冴えはみられず
2008アジア選手権でのジェボク。前年の冴えはみられず

ナムテクホが10年ぶりなら、ジェボクは8年ぶりの代表復帰になる。

前回、国際大会に出場したのは2008年の第6回アジア選手権(ムンギョン)、つまり前々回のアジア選手権以来。

ただし2008年大会は開催国ワイルドカードを得ての出場でありレギュラーではなかった。レギュラーとしてはダブルス、シングルスで個人戦完全優勝した2007世界選手権(アンソン)以来の9年ぶりのことになる。

2000年代を代表する選手

2004アジア選手権ダブルス優勝直後のキムジェボク・パクチャンソク。当時テフカソリック大の2年生。まったくのノーマークだったといってよい。
2004アジア選手権(チェンマイ)ダブルス優勝直後のキムジェボク・パクチャンソク。当時テフカソリック大の2年生。まったくのノーマークだったといってよい。

ナムと違うのはジェボクは2000年代の世界ソフトテニス界を代表する選手の一人であるということだ。

個人戦のタイトルが3つ(2004複、2007単複)。これは2000年代に限って言えばバンジュンハンの4タイトル(韓国 単3複1)に続く二位。他に3個の個人タイトルを持つのはキムキョンハン(韓国 単1混2)、王俊彦(台湾 単2複1)のみである(日本選手では中堀が2タイトル複1混1)。

ナムよりは3ヶ月ほど年長のやはり31歳。彼とは2006年のアジア競技大会で一緒。そこではダブルスで銀メダルを獲得している。まだテグカソリック大の学生だったがユウヨンドンのパートナーとして彼の3度目の決勝進出を支えた。

しかしここでの負けは痛恨。楊勝發・李佳鴻との雨中(しかもナイター)の大決戦に敗れ、兵役免除を勝ち取れなかった。

2006アジア競技大会(ドーハ)最終戦男子ダブルス決勝でのキムジェボク・ユウヨンドン(vs.楊勝發・李佳鴻)
2006アジア競技大会(ドーハ)最終戦男子ダブルス決勝でのキムジェボク・ユウヨンドン(vs.楊勝發・李佳鴻)

世界選手権での単複二冠はその翌年(プロ1年目)。これが現在のところキャリアの頂点である。以降はややスランプといっていい状態で2010年のアジア競技大会代表選抜にも今回とおなじキムジュゴンとのペアでトライするが敗退。その後、翌年プロ入りしたドンフンと入れ替わるように兵役で現役離脱した。復帰後の第一線カムバックは早く13年には代表選抜戦シングルスに姿をみせ、14年には代表の座に肉薄したが、ゲーム中のアクシデントで救急車で運ばれるという不運があった。

KIM Jae-Bok(KOR)

2016韓国代表選抜戦でのキムジェボク
2016韓国代表選抜戦でのキムジェボク

所属 ムンギョン 聞慶市庁

国際個人タイトルを3つ持つ21世紀初頭を代表する選手。内訳はダブルス2、シングルス1。特に2007年世界選手権における単複二冠は見事だった。大会前に怪我をし、それを押して出場を強行、開催国エースとしての役割を果たした感じ。怪我がなければ団体戦を含めた三冠も十分有りえただろう。

2004アジア選手権ダブルス優勝 団体準優勝
2006アジア競技大会ダブルス銀メダル
2007世界選手権 ダブルス、シングルス優勝 団体準優勝







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