東南アジアの強豪タイのアジア競技大会代表。ダブルス、シングルスそれぞれに複数回の予選をおこない代表を決定している。
代表には2012アジア選手権シングルスで決勝に進出したSorrachet Uayporn、2011年世界選手権女子シングルス3位のNAREE SAWTRE、2003年世界選手権でやはりシングルスにおいて台湾から金星をあげたWorranun Ratthapobkorrapakらおなじみの名前が見える。
簡単ではないアジア競技大会への参加・・・
タイは2014年のインチョン大会に続く2大会連続、4度目のアジア競技大会への参加となる。
タイは毎年タイオープン国際大会を開催するなど、東南アジアでもっともソフトテニスが盛んな国のひとつであり、世界選手権やアジア選手権にも毎回選手団を送り込んでくる。
1996年と2001年にバンコクとチェンマイでアジア選手権を開催、次回(2019年)のアジア選手権開催地にも内定している。
しかしそんなタイでもアジア競技大会への参加は前回が4大会実に16年ぶりだった。アジア競技大会はその国のNOCが派遣するアジアのオリンピックだからである。マイナーでメダルにも縁遠いとなると派遣種目となるのは我々の想像を遥かにこえた困難がある。
2大会連続での参加に裏にはタイ内外の関係者の地道で辛抱強い努力があったのである。
20年前に現在の基盤が・・・
バンコク大会はソフトテニスがさまざまな困難を克服して2度目の正式参加を果たした記念すべき大会でもあるのだが、タイも強化に力をいれ、現在の基盤はこのときにできたのではないか。実際、力もあり、女子シングルスでは韓国戦で大善戦(韓国女子は完全優勝)。
そのときのエースがまだ十代半ばだったSawitre Nareeである。彼女はその後中山盃国際大会シングルスで2回優勝し、2011年世界選手権ではシングルスで3位になった。近年はコーチ業だったが、今回ダブルス予選で優勝し復帰してきた。
当初第18回大会は2019年にベトナムハノイで開催予定であったが財政難を理由に2014年に開催を返上という事態に。急遽代替地を選考し5ヶ月後インドネシアに決定した。
異例(史上初)のジャカルタとパレンバンの二都市開催となったのは故なきではないのである(次回、次々回は1都市開催が決定)。
アジア競技大会はアジアのオリンピック。ソフトテニスが参加するイベントではもっとも巨大なスケールで運営される。まさにソフトテニスのプレステージといえる(実際に2006年ドーハ大会はオリンピックスタッフによりオリンピックなみの規模で運営されている。第一回は1951年ニューデリー大会だが、ソフトテニスは1990年第12回大会(広島)より正規種目として参加している(1990年第11回大会には公開種目として参加)。
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- 第17回インチョン大会2014
- 第16回広州大会2010
- 第15回ドーハ大会2006
- 第14回プサン大会2002
- 第13回バンコク大会1998
- 第12回広島大会1994
(第11回北京大会1990(公開種目)
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