ドーハ遥かなり・・・2006年のユウヨンドン —Asian Game 2006 DOHA— ヨンドン 中堀ラストマッチより

2006ドーハアジア競技大会(12月)ミックスダブルス準決勝キムキョンリョン・ユウヨンドン vs 中堀成生・上嶋亜友美よりユウヨンドンのポーチボレー。


2006年12月、中東の小国カタール ドーハで開催された第15回アジア競技大会。

アラブ諸国では初めてのアジア五輪である。

この場にソフトテニスが正式種目としてあること自体がひとつの奇跡だったが、3年前に引退したはずのユウヨンドンの一年限りの復活というもう一つの奇跡が起きた・・・

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ドーハのスーク(市場)。総合開会式の夜にドーハ中心部で撮影。ありえない大雨で大混乱となった。

水を得た魚のよう・・・

国別対抗団体戦に2連覇中(1998バンコク大会、2002釜山大会)で前回の釜山大会に完全優勝した韓国男子は調整に失敗。

しょっぱなの団体戦ではダブルフォワード対策に囚われ完全に自分達のテニスを見失っていた(このことについてはまた書く機会があるとおもう)。

団体戦準決勝 韓国 vs 日本 スタート直前。

しかし団体戦の翌日(4日)にワンディトーナメントで争われたミックスダブルスにおいて、彼等は水を得た魚のように振るまい、他国を寄せつけない。

雁行陣における往時の韓国男子前衛の驚異的なポイント力、圧倒的優位を改めて知らしめた。

6月にチョンジュ(清州)開催された韓国代表選抜一位(この頃の代表選抜のレベル高さときたら・・・)のウイヒューハンはキムチウンとのペアで、優勝候補(第二シード)の周秋萍・李佳鴻(周は方同賢とのペアで2002アジア五輪同種目ファイナリスト、2003世界選手権3位)のパッキンというきついドローだったが、団体戦でのチームの敗戦を引きずった感のある李佳鴻(彼自身は団体戦で全勝だが)があせりまくり、つられて周秋萍が大きくテニスを崩し、韓国ペアが圧倒(5−0)。つづく準決勝玉泉・高川(日本)も問題にしていない(5−1)。

もう一方の準決勝がこの動画の対戦である。

一騎打ち!!

ミックスが登場したのはドーハ大会の前大会である2002釜山大会。

翌2003年の世界選手権、2004アジア選手権が続き、2005年の東アジア競技大会では採用されなかったのでドーハ大会は4度目のミックストーナメント。

ユウヨンドンは2002年アジア競技大会でキムスイウンとのペアで優勝、初代チャンピオンであるとともにディフェンデイングチャンピオンということになる。2003世界選手権ではパクチュンスクとのペアで3位。ヨンドンはここまでミックスダブルスで他国相手に負けたことがない(そして結局対外試合無敗のまま引退した)。

チェンマイでの中堀・上嶋

中堀・上嶋は2004アジア選手権(チェンマイ)でのチャンピオン。つまり直近のチャンピオン、この時点での現チャンピオンといえないこともない(ヨンドンは2004年大会にエントリーしていない)。

さてその対戦、戦前の予想通り、中堀とヨンドンの一騎打ちのような様相を呈す(今大会で団体戦、個人戦ダブルスでの対戦は無かった)。長らくライバルだった二人の2003年の世界選手権以来3年ぶり、そして最後の対戦である。

メダルセレモニーでのユウヨンドン、キムキョンリョン

それにしても二度と実現しないであろう豪勢なメンバーによる(喧嘩四つ?)ミックスダブルスだ。4人とも殿堂入り間違いなしのチャンピオン中のチャンピオンであり、喧嘩四つでこれだけの役者をアジア競技大会というプレステージに揃えることは今後まず不可能であろう。

『喧嘩四つ』というのは男子後衛・女子前衛vs女子後衛・男子前衛という喩え

個人タイトル(四大国際大会)をあわせるとなんと延15タイトル(団体戦をいれると29!!)にもなる(但しこのゲームの時点–2006–で最年少のキョンリョンはまだ無冠)。全員がダブルス、ミックス両方を獲得しているのもすごい。

これは準々決勝(モンゴル戦)での中堀・上嶋
2002-2018ミックスダブルスファイナリスト

2006アジア競技大会ドーハ

雨上がりのカリファスタジアム。天候に恵まれない大会だったのは残念。

中東で開催された唯一のソフトテニス大会。

冒頭にも書いたようにアラブ地区で初めてのアジア競技大会になる(西アジアとしては1974年のテヘラン大会以来)。

いうまでもなくソフトテニスと中東は縁が薄い。というか無い。

競技種目入りは困難が予想されたが、ガス田で潤うカタールはさすが太っ腹で2002年の釜山大会を基本的にすべて踏襲し、それどころか、国家の威信をかけて、オリンピックに匹敵する予算をつぎ込んだ(開会式の見事さは語り草だ)。

運営にあたってもアテネオリンピックのスタッフそのまま投入したといわれており、ゆえにヨーロッパ人のボランティアスタッフがテニス会場にも多数、アジアの大会とは思えないムードを醸し出した。

実際の大会運営も完璧かつ過剰なまでに厳格 近年(2014年インチョン大会以降)のユルいアジア五輪とは一線を画す開催国(都市)のそしてアジアのプライドをかけた気高い素晴らしい大会であったと思う(取材は最高度にたいへんだったが)。

ソフトテニス競技メダルレース(右表参照–>)では男子ダブルス、男子シングルス、女子シングルスで金を獲得した台湾が一位。2位は金メダルの数で日本と韓国が並んだが銀メダル数で日本が二位にはいった。

これほどたいへんだった国際大会の取材は記憶にない。 大会そのもののスケールはすごい。アジア五輪をみるのは4度めの体験だが、桁違いのスケールで運営されていた。 それもそのはずカタールはオリンピック並みの予算を組み、この大会をプロデュースしたのである。 人口100万人以下の小国だが天然資源(石油、ガス)、いわゆるオイルマネー、があふれているのだ。 一例をあげると、なんと全種目準々決勝以上ライブ(生)でテレビ中継という離れ業までおこなった。 もちろんソフトテニスも例外ではない。ただ流しただけではない、映像製作には欧米の技術者が招かれ、その質の高さは目をみはるほど。 まるで別の競技をみているのではないか、と思わされる程すばらしい。 それもそのはず普段はプロテニスツアーを専門に撮っているスタッフがソフトテニスを撮影したのである。 ソフトテニスはテレビ映えしない、と考えている人はおおいが、それは単に技術的な問題であったことが証明されたのである。 このことひとつとってもこのDOHA2006を経てソフトテニスはさらに一歩前進したといえるのではないか。 まだまだ大きな可能性が残されていることに我々は気づいたのだから・・・

(大会直後のレポートを再掲載) 中継技術への賞賛があるが、あれから12年たったがこの時の中継映像に匹敵するものは一度も製作されていない(2010年広州大会ではこれに準ずる映像)。残念なことだ。

ドーハ大会ミックスの表彰式。優勝はキムチウン・ウイヒューハン。決勝は韓国相打ち。三位決定戦は日本相打ち。余談だがこの2006年大会を最後に三位決定戦はおこなわていない。大会規定には3位決定戦を行うことが定められているにもかかわらずだ。できるだけメダルを。という配慮なのだが、チャンピオンシップスとしての厳しさを欠くという誹りはのがれられまい。他競技でもそういう例はあるようだが(未確認)。左からキムキョンリョン。ユウヨンドン、キムチウン、ウイヒューハン、玉泉春美、高川経生
profile

ユウヨンドン(韓国 スンチョン NHNANK)

ソフトテニス史上最強候補の筆頭。

アジア競技大会に4大会連続で出場し、のべ10種目にエントリー、その全てでメダルを獲得した。内訳は金5銀3銅2。

これは空前なのは当然として絶後の大記録であろう。

191センチの長身。2003年引退しNH BANKのコーチとなったが、一年間限定で電撃復帰したのがこの2006年ドーハ大会。

楊勝發・李佳鴻とのダブルス決勝はまさにドリームマッチだったのだが・・・(右動画は1999年世界選手権でのプレー)

個人戦
1994アジア競技大会ダブルス優勝(イミョング・ユウヨンドン)
1997東アジア競技大会ダブルス優勝(キムスンスブ・ユウヨンドン)
1997東アジア競技大会シングルス優勝
2002アジア競技大会ダブルス優勝(イウオンハク・ユウヨンドン)
2002アジア競技大会ミックスダブルス優勝(キムスイウン・ユウヨンドン)
1996アジア選手権ダブルス二位(チョンヒョンキ・ユウヨンドン)
2003世界選手権ダブルス二位(イウォンハク・ユウヨンドン)
2006アジア競技大会ダブルス二位(キムジェボク・ユウヨンドン)
2006アジア競技大会ミックスダブルス二位(キムキョンリョン・ユウヨンドン)
1998アジア競技大会三位(チョンインスー・ユウヨンドン)
1999世界選手権ダブルス三位(チョンヒョンキ・ユウヨンドン)
2003世界選手権ミックスダブルス三位(パクチュンスク・ユウヨンドン)
団体
1996アジア選手権
1997東アジア競技大会
1998アジア競技大会
2002アジア競技大会
 

中堀成生(日本 NTT西日本)

天皇杯に9回、全日本シングルスに6回、全日本インドアに8回と23回日本一という金字塔を達成。

国際大会における個人優勝が2回のとどまったのは意外であり不可解でもあるが、彼の時代は同時に天才が輩出した世界ソフトテニス界の黄金期であり、現在では想像もつかないハイレベルがそこにあったことを如実に語っているといえる。

そんななかで2006,2007の国別対抗2連覇、しかももっとも重要なアジア競技大会、世界選手権の連覇はこれこそ金字塔といえるかも。

というのもこの2大会の連覇は(男子では)実は韓国も台湾も達成していない。日本だけなのである。(左動画は2004年のプレー)

個人戦
2001東アジア競技大会ダブルス優勝(中堀・高川)
2004アジア選手権ミックスダブルス優勝(中堀・上嶋)
1999世界選手権ダブルス二位(中堀・高川)
2008アジア選手権ダブルス二位(中堀・高川)
1997東アジア競技大会シングルス三位
2000アジア選手権ダブルス三位(中堀・高川)
2006アジア競技大会ダブルス三位(中堀・高川)
2007世界選手権ダブルス三位(中堀・高川)
2010アジア競技大会ダブルス三位(中堀・高川)
団体
1995世界選手権
2000アジア選手権
2001東アジア競技大会
2006アジア競技大会
2007世界選手権
 

上嶋亜友美(日本 東芝姫路)

2004アジア選手権(チェンマイ)の三冠王(ダブルス、ミックスダブルス、団体戦)。

在まで14組のミックスチャンピオンがうまれているが、うち女子前衛が勝ったのは2度だけ(2004上嶋、2016佐々木)。

さらにいえば中堀・上嶋が勝った2004年頃が韓国スリートップの独壇場と化しており、日本としてはベスト4もはじめてだった。より価値が高いといえる。

2003年から2006年まで4年連続で国際大会ダブルス決勝に進出(玉泉・上嶋)し、2004,2005、2006と三連覇。2016年にキムエーギョン・チュオクに破られるまでは最高記録だった。(左動画はドーハでの練習風景 クロスボレー→スマッシュ)

個人戦
2004アジア選手権ダブルス優勝(玉泉・上嶋)
2004アジア選手権ミックスダブルス優勝(中堀・上嶋)
2005東アジア競技大会ダブルス優勝(玉泉・上嶋)
2006アジア競技大会ダブルス優勝(玉泉・上嶋)
2003世界選手権ダブルス二位(玉泉・上嶋)
団体
2004アジア選手権
2005東アジア競技大会
 

キムキョンリョン(韓国 アンソン)

プロ一年めの2004年アジア選手権国別対抗で前年の世界チャンピオン河野を4−0で飛ばす華やかさすぎるデヴューを飾った彼女。ドーハはプロ3年目ということになる。

このドーハ大会ではプレッシャーからか前年までの勢いは影を潜めてしまったが、飛躍の年となったのはたしか。

翌年の世界選手権では全種目(4種目)で決勝に進出(優勝2)。

またこの年(2006年)から5大会連続でミックス決勝に進出し2大会に優勝。2006、07、08と3連覇したキムチウンとならぶミックスの女王。敗れた決勝もすべて韓国相手であり他国相手に負けなしである(キムチウンは敗れている)。四大国際大会においてダブルス、ミックスダブルス、シングルス、団体戦全ての種目に優勝しており、これは彼女とキムエーギョンのみがもつ大記録。(左動画は2010年アジア競技大会シングルス準決勝でのキムキョンリョン)

個人戦
2007世界選手権ダブルス優勝(キムキョンリョン・イキョンピョ)
2008アジア選手権シングルス優勝
2010アジア競技大会ミックスダブルス優勝(キムキョンリョン・チヨンミン)
2010世界選手権ミックスダブルス優勝(キムキョンリョン・キムテジョン)
2005東アジア競技大会ダブルス二位(キムキョンリョン・イキョンピョ)
2006アジア競技大会ミックスダブルス二位(キムキョンリョン・ユウヨンドン)
2007世界選手権ミックスダブルス二位(キムキョンリョン・キムヒースー)
2007世界選手権シングルス二位
2008アジア選手権ダブルス三位(キムキョンリョン・イキョンピョ)
2004アジア選手権シングルス三位
2006アジア競技大会ダブルス三位(キムキョンリョン・イキョンピョ)
2010アジア競技大会シングルス三位
2011世界選手権ダブルス三位(キムキョンリョン・ミンユリム)
団体
2006アジア競技大会優勝
2007世界選手権優勝
2008アジア選手権優勝
2011世界選手権優勝




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