KIM Kyung-Han(KOR)–김경한–
キムキョンハン(韓国 タルソン所属)
Birthdate: 13/5/1973
Birthplace: korea
Plays:right-handed
Style: net player
team:dalseong
Height:188
サンムソフトテニス隊(軍隊内実業団 現在はオリンピック競技のみ存続)の最後期の選手である。2003年の世界選手権終了後に引退といわれたがその後もプレーイングマネージャーとして現役を続行。最後の国際大会となったのは5年後の2008年アジア選手権、国内では2010年頃までプレー。경한 アルファベッド表記だとキュンハンと読めてしまうが、ハングル表記だとキョンハンあるいはギョンハンが原音に近い。
RECORD
6
1998 ASIAN GAMES
アジア競技大会 バンコク
TEAM Winner
DOUBLES BEST4
団体戦ではシングルス専任。予選リーグ日本戦ではNO.1シングルスに登場し、中堀成生と対戦、大きくリードするが大逆転負け、この後何度も中堀と対戦することになるキョンハン、これが最初。
チェジフンと組んだダブルスでは準々決勝で中堀・高川に辛勝。準決勝では優勝した郭旭東・方同賢(台湾)に敗れ、3位決定戦に。銅メダルマッチはチョンインスー・ユウヨンドンとの同国対決。
2011 WORLD CHAMPIONSHIP
第11回世界ソフトテニス選手権 林口(台湾)
SINGLES Winner
TEAM Finalist

国別対抗団体戦、個人戦(当時 個人戦はダブルス、シングルスの重複エントリーはできなかった)ともにシングルスに専念。劉家綸(台湾)との2度に渡る空中戦、死闘は世界選手権史上ベストゲーム候補であろう。(3−4[団体戦決勝]、4−3[個人戦決勝])。
個人戦では準々決勝で台湾の房超意、準決勝では日本の平山隆久をともに4−2のスコアで破っている。
団体戦では日本との対戦は無し。
2000 ASIAN CHAMPIONSHIP
第4回アジアソフトテニス選手権 佐賀
TEAM Finalist
期待の大型新人イウォンハクとのペアで韓国代表選抜一位。個人戦ダブルスでは準々決勝で優勝した平山・土師に敗れベスト8。最初の種目、国別対抗団体戦ではチョンインスーとのペアでトップ(当時は3ダブルス2シングルスの5対戦点取り)をまかされたが、中堀・高川に完敗。
2001 EAST ASIAN GAMES
第3回東アジア競技大会 大阪
TEAM Silver Medal
前年のアジア選手権(2000年佐賀)に続きイウォンハクとのペア。個人戦ダブルスでは団体戦(オープニング種目)ではそれなりに善戦した中堀・高川に完敗し、予選リーグで敗退。
2000、2001年のキョンハンは1999年あるいは2002年以降の彼とは別人のよう(に不調)。韓国国内では圧倒的な強さだったが・・・
2002 ASIAN GAMES
第14回アジア競技大会 釜山
TEAM Winner
SINGLES Winner

イウォンハクと組んだ代表選抜戦ダブルスではファンジョンファン・キムヒースー(ムンギョン)に敗れ次点、シングルスで代表権を獲得、本大会でも3年ぶりにシングルスに専念(世界チャンピオンになって以降はじめての個人戦シングルスエントリーでもある)。
結果、全勝で2冠(国別対抗団体戦は2大会連続)となった(シングルス決勝はキムヒースーとの同国対決。
この大会韓国が7冠完全優勝(イウォンハクはユウヨンドンと組みダブルスで優勝)。

2003 WORLD CHAMPIONSHIP
第12回世界ソフトテニス選手権 広島
TEAM Finalist
MIXED DOUBLES Winner
Doubles 3rd place
シングルスのディフェンディングチャンピオンしかも前年のアジア競技大会ゴールドメダルだが、今大会よりルールが大幅に改定されたこともあり、シングルスにはエントリーしていない。
2日目のミックスダブルスより登場、ミックスは前年(2002アジア競技大会)よりの新種目、そこで銀メダルだったパクヨンヒ(テグ銀行)とのペア。金メダルの第一候補だったが、その通りとなった。
韓国代表選抜ではイウォンハクとのペアで優勝。しかし、ウォンハクを前年にアジア競技大会チャンピオンとなったユゥヨンドンにゆずり(だからこそのミックスでのパクとのペアリングか?)、自らは若いオソンユル(シングルス予選一位、当時大学生)との新ペア。このペアはアッと驚くダブルフォワードで楽々ベスト4へ。準決勝でのキムボブヒョン・バンジュンハンとの同国対決に敗れ3位。
大会最終日の国別対抗団体戦では前日のダブルスにバンジュンハンとのペアで優勝したキムボブヒョンとペアでクローザ。準決勝日本戦、トップ イウォンハク・ユウヨンドンが雨中の大将対決(vs.中堀・高川)に敗れて回ってきた浅川・小峯戦に完勝。決勝の台湾戦(vs.王俊彦・趙士城)も同様の展開となったのだが・・・・・
2008 ASIAN CHAMPIONSHIP
第6回アジアソフトテニス選手権 ムンギョン
TEAM Winner
MIXED DOUBLES Winner
DOUBLES BEST 8

イヒョンスとのペアで韓国代表選抜ダブルス予選次点。シングルス代表選抜で優勝したキムドンフンのダブルスパートナーとして推薦され5年ぶりの代表復帰(イヒョンスは開催国ワイルドカードを得てヤンチンハン(ソウル)とのペアでダブルスにエントリーし優勝している)。
超弩級の新人、ドンフンとのペアで注目された個人戦ダブルスは準々決勝で中堀・高川に惜敗。
チョソンジェとのペアで大将をまかされた団体戦でも決勝トップで中堀・高川と死闘、惜敗。しかしこのダブルス2試合は大会の白眉。2000年代の最後を飾る名勝負として語り継ぎたい。
キムチウンとの世界チャンピオンペアとしてのぞんだミックスは余裕の優勝。

memo
初代表が1998。最後が2008年。その11年間に6度代表を務めたことになる。
186センチの長身からくる威圧感もとんでもないが、本領は技、繊細なタッチをともなったテクニックを駆使し、技のデパートの形容を使いたくなるような多彩な技を次々繰り出してくる。
オーヴァーヘッドでのチョップサーブ(左右両方の回転がある)にリターナーのラケットはしばしば空を切らされ、必殺のドロップボレー ドロップスマッシュに煙に巻かれてきた。
旧ルールシングルスで世界(1999年台北)、そしてアジア五輪(2002釜山)という二大タイトルを取り、そこでの成果を2003年以降ダブルスに反映させてきた。ヨンドン、ヒースーと同じキャリアである。3トップの奇跡は故なし、ではないのである。
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